失敗と転機を率直に語る自伝
全文 209,806字・読了の目安 約420分(21節)。青空文庫の公開テキストを、縦書きの原文のまま読めます。
慶應義塾の社中にては、西洋の学者に往々自から伝記を記すの例あるを以て、兼てより福澤先生自伝の著述を希望して、親しく之を勧めたるものありしかども、先生の平生甚だ多忙にして執筆の閑を得ずその儘に経過したりしに、一昨年の秋、或る外国人の需に応じて維新前後の実歴談を述べたる折、風と思い立ち、幼時より老後に至る経歴の概略を速記者に口授して筆記せしめ、自から校正を加え、福翁自伝と題して、昨年七月より本年二月までの時事新報に掲載したり。本来この筆記は単に記憶に存したる事実を思い出ずるまゝに語りしものなれば、恰も一場の談話にして、固より事の詳細を悉くしたるに非ず。左れば先生の考にては、新聞紙上に掲載を終りたる後、更らに自から筆を執てその遺漏を補い、又後人の参考の為めにとて、幕政の当時親しく見聞したる事実に拠り、我国開国の次第より幕末外交の始末を記述して別に一編と為し、自伝の後に付するの計画にして、既にその腹案も成りたりしに、昨年九月中、遽に大患に罹りてその事を果すを得ず。誠に遺憾なれども、今後先生の病いよ/\全癒の上は、兼ての腹案を筆記せしめて世に公にし、以て今日の遺憾を償うことあるべし。
明治三十二年六月
時事新報社 石河幹明 記
幼少の時
福澤諭吉の父は豊前中津奥平藩の士族福澤百助、母は同藩士族、橋本浜右衛門の長女、名を於順と申し、父の身分はヤット藩主に定式の謁見が出来ると云うのですから足軽よりは数等宜しいけれども士族中の下級、今日で云えば先ず判任官の家でしょう。藩で云う元締役を勤めて大阪にある中津藩の倉屋敷に長く勤番して居ました。夫れゆえ家内残らず大阪に引越して居て、私共は皆大阪で生れたのです。兄弟五人、総領の兄の次に女の子が三人、私は末子。私の生れたのは天保五年十二月十二日、父四十三歳、母三十一歳の時の誕生です。ソレカラ天保七年六月、父が不幸にして病死。跡に遺るは母一人に子供五人、兄は十一歳、私は数え年で三つ。斯くなれば大阪にも居られず、兄弟残らず母に連れられて藩地の中津に帰りました。
兄弟五人中津の風に合わず扨中津に帰てから私の覚えて居ることを申せば、私共の兄弟五人はドウシテも中津人と一所に混和することが出来ない、その出来ないと云うのは深い由縁も何もないが、従兄弟が沢山ある、父方の従兄弟もあれば母方の従兄弟もある。マア何十人と云う従兄弟がある。又近所の小供も幾許もある、あるけれどもその者等とゴチャクチャになることは出来ぬ。第一言葉が可笑しい。私の兄弟は皆大阪言葉で、中津の人が「そうじゃちこ」と云う所を、私共は「そうでおます」なんと云うような訳けで、お互に可笑しいから先ず話が少ない。夫れから又母は素と中津生れであるが、長く大阪に居たから大阪の風に慣れて、小供の髪の塩梅式、着物の塩梅式、一切大阪風の着物より外にない。有合の着物を着せるから自然中津の風とは違わなければならぬ。着物が違い言葉が違うと云う外には何も原因はないが、子供の事だから何だか人中に出るのを気恥かしいように思て、自然、内に引込んで兄弟同士遊んで居ると云うような風でした。
儒教主義の教育夫れから最う一つ之に加えると、私の父は学者であった。普通の漢学者であって、大阪の藩邸に在勤してその仕事は何かというと、大阪の金持、加島屋、鴻ノ池というような者に交際して藩債の事を司どる役であるが、元来父はコンナ事が不平で堪らない。金銭なんぞ取扱うよりも読書一偏の学者になって居たいという考であるに、存じ掛もなく算盤を執て金の数を数えなければならぬとか、藩借延期の談判をしなければならぬとか云う仕事で、今の洋学者とは大に違って、昔の学者は銭を見るも汚れると云うて居た純粋の学者が、純粋の俗事に当ると云う訳けであるから、不平も無理はない。ダカラ子供を育てるのも全く儒教主義で育てたものであろうと思うその一例を申せば、斯う云うことがある。私は勿論幼少だから手習どころの話でないが、最う十歳ばかりになる兄と七、八歳になる姉などが手習をするには、倉屋敷の中に手習の師匠があって、其家には町家の小供も来る。其処でイロハニホヘトを教えるのは宜しいが、大阪の事だから九々の声を教える。二二が四、二三が六。これは当然の話であるが、その事を父が聞て、怪しからぬ事を教える。幼少の小供に勘定の事を知らせると云うのは以ての外だ。斯う云う処に小供は遣て置かれぬ。何を教えるか知れぬ。早速取返せと云て取返した事があると云うことは、後に母に聞きました。何でも大変喧ましい人物であったことは推察が出来る。その書遺したものなどを見れば真実正銘の漢儒で、殊に堀河の伊藤東涯先生が大信心で、誠意誠心、屋漏に愧じずということ許り心掛たものと思われるから、その遺風は自から私の家には存して居なければならぬ。一母五子、他人を交えず世間の附合は少く、明ても暮れても唯母の話を聞く許り、父は死んでも生きてるような者です。ソコデ中津に居て、言葉が違い着物が違うと同時に、私共の兄弟は自然に一団体を成して、言わず語らずの間に高尚に構え、中津人は俗物であると思て、骨肉の従兄弟に対してさえ、心の中には何となく之を目下に見下して居て、夫等の者のすることは一切咎もせぬ、多勢に無勢、咎立をしようと云ても及ぶ話でないと諦らめて居ながら、心の底には丸で歯牙に掛けずに、云わば人を馬鹿にして居たようなものです。今でも覚えて居るが、私が少年の時から家に居て、能く饒舌りもし、飛び廻わり刎ね廻わりして、至極活溌にてありながら、木に登ることが不得手で、水を泳ぐことが皆無出来ぬと云うのも、兎角同藩中の子弟と打解けて遊ぶことが出来ずに孤立した所為でしょう。
厳ならずして家風正し今申す通り私共の兄弟は、幼少のとき中津の人と言語風俗を殊にして、他人の知らぬ処に随分淋しい思いをしましたが、その淋しい間にも家風は至極正しい。厳重な父があるでもないが、母子睦じく暮して兄弟喧嘩など唯の一度もしたことがない。のみか、仮初にも俗な卑陋な事はしられないものだと育てられて、別段に教える者もない、母も決して喧しい六かしい人でないのに、自然に爾うなったのは、矢張り父の遺風と母の感化力でしょう。その事実に現われたことを申せば、鳴物などの一条で、三味線とか何とか云うものを、聞こうとも思わなければ何とも思わぬ。斯様なものは全体私なんぞの聞くべきものでない、矧や玩ぶべき者でないと云う考を持て居るから、遂ぞ芝居見物など念頭に浮んだこともない。例えば、夏になると中津に芝居がある。祭の時には七日も芝居を興行して、田舎役者が芸をするその時には、藩から布令が出る。芝居は何日の間あるが、藩士たるものは決して立寄ることは相成らぬ、住吉の社の石垣より以外に行くことならぬと云うその布令の文面は、甚だ厳重なようにあるが、唯一片の御布令だけの事であるから、俗士族は脇差を一本挟して頬冠りをして颯々と芝居の矢来を破て這入る。若しそれを咎めれば却て叱り飛ばすと云うから、誰も怖がって咎める者はない。町の者は金を払て行くに、士族は忍姿で却て威張て只這入て観る。然るに中以下俗士族の多い中で、その芝居に行かぬのは凡そ私のところ一軒位でしょう。決して行かない。此処から先きは行くことはならぬと云えば、一足でも行かぬ、どんな事があっても。私の母は女ながらも遂ぞ一口でも芝居の事を子供に云わず、兄も亦行こうと云わず、家内中一寸でも話がない。夏、暑い時の事であるから凉には行く。併しその近くで芝居をして居るからと云て見ようともしない、どんな芝居を遣て居るとも噂にもしない、平気で居ると云うような家風でした。
ここまでで全体の約1%。残り約414分は、名著伴読で続きから読めます。分からない箇所は、その場で著者に聞けます。
出典: 青空文庫(福沢諭吉『福翁自伝』)。本文は著作権の保護期間が満了した公開テキストです。
名著伴読は長い作品を一度に読み切れる長さへ区切っています。下の内訳はその区切りです。
| 節 | 見出し | 目安 |
|---|---|---|
| 1 | 福翁自伝(1/21) | 約25分 |
| 2 | 長崎遊学 | 約22分 |
| 3 | 大阪修業 | 約26分 |
| 4 | 緒方の塾風(1/3) | 約19分 |
| 5 | 緒方の塾風(2/3) | 約18分 |
| 6 | 緒方の塾風(3/3) | 約7分 |
| 7 | 大阪を去て江戸に行く | 約13分 |
| 8 | 始めて亜米利加に渡る | 約25分 |
| 9 | 欧羅巴各国に行く | 約19分 |
| 10 | 攘夷論 | 約31分 |
| 11 | 再度米国行 | 約13分 |
| 12 | 王政維新(1/3) | 約20分 |
| 13 | 王政維新(2/3) | 約20分 |
| 14 | 王政維新(3/3) | 約20分 |
| 15 | 暗殺の心配 | 約15分 |
| 16 | 雑記 | 約26分 |
| 17 | 一身一家経済の由来(1/3) | 約19分 |
| 18 | 一身一家経済の由来(2/3) | 約19分 |
| 19 | 一身一家経済の由来(3/3) | 約25分 |
| 20 | 老余の半生(1/2) | 約19分 |
| 21 | 老余の半生(2/2) | 約19分 |
この問いに、福沢諭吉はこう書いています。下はすべて原文からの逐語引用です。
今度は私の番になってこの通りに自分の伝を記して子供の為めにし、又先年小供の生立の事をも認めて置たから先ず遺憾はない積りです。
私は如何でもして国を飛出そうと思て居るから、之を見て大に心を動かし、コリャ面白い、一文なしに国を出て、罷り違えば按摩をしても喰うことは出来ると思て
私の生涯の中に出来して見たいと思う所は、全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に愧かしくないようにする事と
名著伴読では、こうした箇所を福沢諭吉の一人称でつなぎ、必ず原文の引用を添えて答えます。引用は原文と一字一句照合したものだけを出し、触れると原文のその箇所へ移動します。AI による再現であり、本人の発言ではありません。
名著伴読は青空文庫および各著者の関係団体とは無関係の非公式アプリです。