収録作品 / 名著伴読

新渡戸稲造『人格の養成』

人格をどう育てるかを説く

全文 5,871字・読了の目安 約12分。青空文庫の公開テキストを、縦書きの原文のまま読めます。

原文(はじめの6分)

久振で東京へ帰ッて参りまして、安心して休むつもりであッたところが、突然お呼出しになりまして、定めし何にか御馳走でもあるじゃろうと思ッて来たところが、二階の階段で演説をという命令である。台湾から帰ッたばかりで、とても面白い話など出来る次第でもなし、けれども台湾に行ッたからというて、舌を落して来たという訳でもなし、日本語を忘れたという訳でもないからして、絶対的にお話出来ぬというお断りは出来ない。しかしただ今も横井さんの有益なる御深切なお話のあとで、私は何も附加えることはない、殊にあなた方はもう既に保険料をお払済になッたろうと思うのである。私もしばしばこの保険会社の人に押込まれて、何々保険会社から入れと言うて来るかと思うと、直後から他の会社から来る、中々勉強するものである。然るにあなた方に対しては恐らく横井さんが初めての申込であッて、後から来るものは定めしうるさいだろうとお思いになるだろう。故に私は何も保険申込はしないから、それだけは御安心下さい。

また横井さんのお話の後で、ただ今申した通り、加えることはないが、すこぶる御同感の点が多い、多いどころではない悉く御同感である。今日は卒業式とかいう話であッたが、あなた方が何か巻物を持ッておるところを見ると、多分卒業式は済んだのであろう。してみるとこれから世の中に出られるという方々が何人かおいでになる。私は此処へ参りましたついでに、十分か十五分を期して世の中に出られる方に一言を申し、それから残ッておられる方々に一口申したいと思う。世の中に出られる方は、どういう成功の条件が必要であるかということは、既にお話があッたが、ただそれを実行出来るや否や、ここが大切である。女の勢力というものはひどいもので私の知人の世の中を永く見た人が言うたことがある、世の中は三つのぽうで治まッておる。一つは鉄砲、これはマア吾々が今日新聞を取ッて見てもすぐ分る。第二は説法というので即ち宗教というのであろう、本願寺を始めとして到る処に建ッておる教会を見ても分る。第三のは女房というやつ、これは恐ろしい勢力を持ッておるものだそうです。この三つのぽうで世の中が治まッておるのであるという。このうちにも最も勢力のあるという女房というのは、マアこの辺から出られるのであろう。他からも大分出るのであるけれども、マアここからも出るのであろう。よし女房にならぬと言うても、女房というのは広い意味においては婦人ということである、何も人の妻のみには限らない。その広い意味においての女房というものは如何にして成功するか、即ち人の妻であッたならば、どうして自分の夫を支配して押付けて行くことが出来るか、というこの成功の保険などはどうである。これも横井さんのお話の条件を守ッたら、自分の夫を押えるのみならず、世界を治める事も出来よう、ただその一の要素としてお話しなすッた。例えば一つの身体をよくしよう、最も身体をよくするには、うまい物を食え、これはなるほどお芋や南瓜ばかりでは身体は丈夫にはなるまい、いいことをお話しになッた、皆様も御同感であろうと思う、ただどうして、うまい物を食ッて行こうか、という問題が事実問題でここが考え物だ。他の点においてもお話しになッた事を実行するに当ッて、どうであろうということは何に依て定まるかというと、やはりお話しになッたところの智識というものを利用して、それで女房の女房たるところ、即ち世界の大勢を動かす機関となることであろうと思う。

故に智識というものは頗る利なものである、それでその智識を得るの要素というものは既に卒業証書は得られた、学校は学校で修めたと思いますから、それを応用する。この読書力というものは恐ろしいもので、書物を読む力さえあれば、大概な問題が湧いても、どうかこうかそれに判断を下すことが出来る。私は農学を知ッておるような顔をしている、ところがいろいろな事を持ッて来る、大根にやる肥料はどんなのがようございましょうなんとかいうのがある、私が作る大根は筋ッぽくッていかぬ、とてもあなた方の養生にはなるまいと思うような大根が出来る、そこでこれを工夫して本を開けて見ると、ちゃんと書いてある。私より怜悧な人が沢山世の中におる、大根の肥料の法を永い間研究しておる。ちょッと馬鹿じみた人に思いますけれども、怜悧な人が世の中におる、その人の言うことを聞いて作ると、とても私が講釈で言うような筋ッぽい大根ではない、しばしば私は質問に答えるに苦し紛れに、本を読んで、それで間に合わせた事がしばしばどころではない始終それでやッておる、間に合うことが多い。先書物を読む力があれば、世の中の事は大概間に合ッて行く。故に私はこの卒業せらる方々に能記憶して戴きたいと思うことは、書物を読む力を失わぬようにせねばならぬことで、もうこれで安心だ、もう学校も卒業したからして、これで学者になッた、この巻物だか紙だか何だかある、これを持ッていさえすればよい、もう極楽浄土というような考ではいかぬ、ある尼でしたね、何とかいう、悟りを開いたという尼さんの歌がある、歌をやると、少し間違ッていかぬけれども、何でもこういうような意味でした。

乗得ては艪櫂もいらじ蜑小舟

片瀬の浪のあらむ限りは

船に乗ッてしまえば艪も櫂もいらない、ただ片瀬の浪さえあれば流れて行くから、安心して寐て行くことが出来る。悟道の道に入れば、もう安心じゃというた尼の歌がある。あなた方も世の中に出れば、学校さえ去ッて卒業免状を持ッて行けば艪櫂もいらないという観念を持つ人が沢山ある、口ではなアにまだまだなんと言ッておるけれども、心の中で安心する人が沢山ある。ところがその尼の歌に答えた坊さんの歌がある。

乗得ても心許すな蜑小舟

片瀬の浪に浮沈みあり

いくら船に乗ッても片瀬の浪があればよいと言うけれども、浮いたり沈んだりがあるから、油断の出来るものではないと言うたが、即ちそのお積りで、あなた方も世の中に出られぬといかないと思う。私も学校というものは二つ三つ卒業してみた、そうして何でもえらい者になッた気でおッた、ところがどうして中々えらいどころではない、大根一本碌に出来ないような始末、学校の免状位では油断の出来るもんではない。書物というものも実際の問題になッて読めるぞと安心しておる中に、力というやつは妙に蒸発するやつで、殊に口でも開いていようものならスーッと逃げてしまう。能口を締めてから、油断しないで読書力を続けてやらんければならぬ。それには人の妻になろうがなるまいが、女房たる以上は努めて一日に十分でも二十分でもよいから、書物を読むという途を作ッておくことが必要である。私は先達て台湾に三月ばかり行ッていて、十日前に京都へ帰ッて、外国人に会ッて英語をしゃべるのに、平生でもそう流暢にしゃべるのではないが、特にしゃべり難かッた、そんなもので、学力だとか読書力とかいうようなものは直に蒸発してしまう。私は台湾に行ッて口を開いていたから、よほど蒸発が早かッた。この点に十分御注意あッて、実際的にこれを応用するには日に二十分か三十分位はきッと本を読む。日に二十分や三十分の時間というものは、どうやッても出来るものである、工夫さえすれば、御飯時だろうが、何だろうが、……といッて早く食ッちゃァいかぬ。グラッドストーンが二十遍噛んだという如く、また近頃はスレッチャレーションという事がはやッて、スレッチャーという人が何でも噛まなくてはいかぬといッてこれをやッたというが、とにかく時を窃んで本をお読みなさい。日に二十分や三十分はどうしても出来る。それをいやだと思ッても無理にやらんければならぬ。

ここまでで全体の約53%。残り約6分は、名著伴読で続きから読めます。分からない箇所は、その場で著者に聞けます。

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出典: 青空文庫(新渡戸稲造『人格の養成』)。本文は著作権の保護期間が満了した公開テキストです。

「『人格の養成』は何を書いた作品ですか」

この問いに、新渡戸稲造はこう書いています。下はすべて原文からの逐語引用です。

日記をお書きなさい、英語で日記を書く、五行でも十行でもよろしい。
つまり書を読むということも、日記を書くということも、一つの技術となッて、技芸となッて、それを以て自分の衣食の補遺としようという者はいまだ卑い。
つまり困難というものは、如何なる困難があッてもそれを決して遁れてはいかぬ、逃げてはいかぬ、それを堪えろ。

名著伴読では、こうした箇所を新渡戸稲造の一人称でつなぎ、必ず原文の引用を添えて答えます。引用は原文と一字一句照合したものだけを出し、触れると原文のその箇所へ移動します。AI による再現であり、本人の発言ではありません。

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