収録作品 / 名著伴読

北大路魯山人『愛陶語録』

器への愛を短い言葉で語る

全文 7,103字・読了の目安 約14分。青空文庫の公開テキストを、縦書きの原文のまま読めます。

原文(はじめの5分)

作陶への情熱

なにしろ根がずぶの素人の陶作家、固より何の教養もあろうはずもなく、はじめは随分気のひけたものである。今でこそ、素人なればこその見識をそのまま仕事に打ち込むことができるのだ、などと言えるようになった。

それもそのはずである。最初のアマチュア時代が四十代で、それから三十年も経っている。遅れ過ぎて競走するのは全くいやになってしまう。

正直なところ、年甲斐もないのが先ずきまりが悪い。かと言って、他にこれという能もないのが因果、恥を忍びつつやっているまでだが、決して心中大きな顔はしていないつもりである。だが、なんとしたことか、持って生まれた美食道楽がおのずと限りなき欲望を生み、美しく楽しめる食器を要求する。即ち、料理の着物を、料理の風情を美しくあれと祈る。美人に良い衣裳を着せてみたい心と変りはない。この料理の美衣をもって風情を添えることは、他人はどうあろうと、私にはかけがえのない楽しみである。

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良き物を手に入れんとする骨董買い上手の五則。

一 まず第一旦那買いすべき事

二 みだりに値切らざる事

三 一旦買い取りたる上は返品せざる事

四 心に欲すると欲しないは別とし、品物の難くせ言うは悪し

五 儲かるとてみだりに売るべからず

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途方もない考えがなくては、途方もない結果はない。

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芸術家には芸術と不即不離の実生活があるはずである。むしろ、芸術そのものが実生活である。また、その実生活そのものが芸術である。作品はこれが表現されたものに過ぎない。

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素人で茶碗をこしらえてみたいと軽々しく希望する人がある。これは恐らくその人が平生どんな茶碗を観ても、その茶碗の作家の精神までは観ていないということになる。茶碗に限らず、作品はすべてその人の全人格を正直に表現しているものである。だから、その人が自己の醜は醜として人眼にふれても仕方がないという芸術家魂を持った人でない限りは自己の趣味、自己の精神は茶碗に溶け込んでくるものではない。

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まあ、なんと言っても自然に親しむことが第一だね。どんな芸術にしてもそうだがどこまでその人が自然を愛しているか、自然を掴んでいるかということが素材をなして行くのだから、写生がまず第一番に大切だね。写生によって自然に対する細心な注意を養って行き、また心に印象を刻んで行くのだ。そうしているうちに省略法を覚えて来て筆を支配する力が出来てくる。実際にはここにもう一つの枝があるけれど、ない方が美しいから取って了うとか、群像を一筆で表現して了うとか、つまり、実物を離れて心術で描くようになって来るんだね。一口にこういうと、容易なことのようだが、なかなかちょっとやそっとの努力ではそこまで行けないのだ。言わば写実劇が歌舞伎劇になって行くようなものだ。舞台の上でバタバタと駈け出したって、ちょっとも美でもなければ、駈けている感じも出ない。けれど、ノッシノッシと六方を踏んで行くと、もう見物は吾を忘れて駈けている気持になってしまう。能狂言に至っては、更に、その美を増すようなもので、絵もそうした境地にまで入って行かなければ嘘だね。しかも、その上に雅味もなくてはいけず……。まあ心がけとして、常に名画や名器に接近して美に浸るということが大切だと思う。

タネのよしあし

いつも言うことだが、陶工となって名品を作り、世に名を成さんと考えるほどの人は、絵を描かせても、一かどの画家として、その道に通るくらいの者でなければならんはずであるが、それが従来は美術に関心はあるが、絵描きたるには力が足らず、瀬戸物造りにでもなればという当てずっぽうで土いじりを始めた者が多いようだ。これであっては、土台問題にならないものが出来るわけである。画家に比べて、陶工連中の方はどうも氏素姓のタネが悪いらしい。祖先からの職人級ばかりが多いとのことである。こんなことでは良い陶器が出来るはずはない。一流の画家になれるほどの者が好き心で陶器の世界に入り、一道楽やってみようと来なければ期待は持てない。

例えば木米のようにである。タネの悪い現代の職人風情ばかりでは、芸術的名品はいつになっても生まれないであろう。今の陶工たちも、大いに精神的な美しい栄養を摂取して職人の域から脱皮することがなければ、ウソの生活に徒労を重ねるばかりである。官展に於ても、工芸美術なんて二流美術の名称を授けられ、軽蔑を受けながら多としているなどは、全く駄人という奴である。

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絵を以て陶器を作る。もしこれを満たさざれば、汝は世の軽蔑と貧困に包まれつつ駄工として一生を了わらん。

上向きの心

どんな趣味生活、道楽に於ても言えることだが、私の年来の希願は「いい物を求める」、これだ。この願いは取りも直さず、上向きの心、即ち、絶え間なき完全なるものへの精進である。それは、何かにつけて修業になる。

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門を叩けば門は開く。

自戒

無理をせぬことが芸術の要領であり、健康のための本旨でもあるとするなら、守らねばならぬ。況んや栄達を求めて不自然な要求をしてはならぬ。

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自分の作意を他の作家に輸出することは意味の無い事だ。

当意即妙

芸術は計画とか作為を持たないもの、刻々に生まれ出てくるものである。

言葉を換えて言うなら、当意即妙の連続である。

言い古された言葉だが、「浮気はその日の出来ごころ」というのがある。芸術も、言わばその日の出来ごころである。やって行くうちに生まれ出てくるものである。

美術道楽

真の美術家になるためには、飽くなき美術道楽をすることにあると思うね。人工美を極めつくした上に、自然美に眼を向け、これに没入することだね。人工美だけでは何々流という奴になって、一向に面白くない。前者よりも後者が大切だ。

美生活とは

本当の美生活とは、形の美と心の美を兼ね備えたものだ。即芸術生活である。

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私は人間の皆が美しいことを好み、良い物を良いとわかり、本当の道を歩くことが本当だとわかり、仮りにも邪欲の道に陥ることのないよう力を尽したい。

ここまでで全体の約34%。残り約9分は、名著伴読で続きから読めます。分からない箇所は、その場で著者に聞けます。

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出典: 青空文庫(北大路魯山人『愛陶語録』)。本文は著作権の保護期間が満了した公開テキストです。

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