収録作品 / 名著伴読

南方熊楠『十二支考』

干支の動物をめぐる縦横無尽の考証

全文 54,756字・読了の目安 約110分(7節)。青空文庫の公開テキストを、縦書きの原文のまま読めます。

原文(はじめの7分)

「張り交ぜの屏風ひつじの五目飯」てふ川柳がある。この米高また紙高の時節に羊に関する雑談などを筆するは真に張り交ぜ屏風を造って羊に食わすほど紙潰しな業と思えど、既に六、七年続き来った『太陽』の十二獣談を今更中絶も如何と、流行感冒の病み上りでふらつく頭脳で思い付き次第に書き出す。

既に米高と言ったから、米高がかった話より初めよう。昔スウェーデン大凶年で饑飢免るべからずと知れた時、国民会議してすべての老人と病人を殺し、せめては少壮者を全く存せんと決したが、国王かかる残虐を行うに忍びず、念のために神慮を伺うた。神託宣していわく、もしこの国に年若く姿貌端正にして智慮に富み、足で歩まず、馬に騎らず、車に乗らず、日中でなく、夜中でなく、月の前半でも後半でもなく、衣を著ず、また裸にもあらず、かくてシグツナの王宮に詣り得る美なる素女あらば、その女こそ目前差し迫った大禍難を無事に避くべき妙計を出し得べけれと。

爾時ヴェンガイン村に一素女あり、ジサと名づく、貞操堅固、儀容挺特、挙世無双だった。数千の無辜の民を助けたさに左思右考して神託通りにこの難題を見事遣って退けた。

『古今要覧稿』巻五三一に「およそ十二辰に生物を配当せしは王充の『論衡』に初めて見たれども、『淮南子』に山中未の日主人と称うるは羊なり、『荘子』に〈いまだかつて牧を為さず、而して牂奥に生ず〉といえるを『釈文』に西南隅の未地といいしは羊を以て未に配当せしもその由来古し」と論じた。果してその通りなら十二支に十二の動物を配る事戦国時既に支那に存したらしく、『淮南子』に〈巳の日山中に寡人と称せるは、社中の蛇なり〉とある、蛇を以て巳に当てたのも前漢以前から行われた事だろうか。すべて蛇類は好んで水に近づきまたこれに入る。沙漠無水の地に長じた蛇すら能く水を泳ぎ、インドで崇拝さるる帽蛇は井にも入れば遠く船を追うて海に出る事もあり。されば諸国でいわゆる水怪の多くは水中また水辺に棲む蛇である(バルフォール『印度事彙』蛇の条、テンネント『錫蘭博物志』九章、グベルナチス『動物譚原』二)。わが邦でも水辺に住んで人に怖れらるる諸蛇を水の主というほどの意でミヅチと呼んだらしくそれに蛟蝄虬等の漢字を充てたはこれらも各支那の水怪の号故だ。現今ミヅシ(加能)、メドチ(南部)、ミンツチ(蝦夷)など呼ぶは河童なれど、最上川と佐渡の水蛇能く人を殺すといえば(『善庵随筆』)、支那の蛟同様水の主たる蛇が人に化けて兇行するものをもとミヅチと呼びしが、後世その変形たる河童が専らミヅシの名を擅にし、御本体の蛇は池の主淵の主で通れどミヅチの称を失うたらしい。かく蛇を霊怪視した号なるミヅチを、十二支の巳に当て略してミと呼んだは同じく十二支の子をネズミの略ネ、卯を兎の略ウで呼ぶに等し。また『和名抄』に蛇和名倍美、蝮和名波美とあれば蛇類の最も古い総称がミで、宣長の説にツチは尊称だそうだから、ミヅチは蛇の主の義ちょうど支那で蟒を王蛇と呼ぶ(『爾雅』)と同例だろう。さてグベルナチスが動物伝説のもっとも広く行き渡ったは蛇話だといったごとく、現存の蛇が千六百余種あり。寒帯地とニューゼーランドハワイ等少数の島を除き諸方の原野山林沼沢湖海雑多の場所に棲み大小形色動作習性各同じからず、中には劇毒無類で人畜に大難を蒙らするもあれば無毒ながら丸呑みと来る奴も多く古来人類の歴史に関係甚だ深い。故にこれに関する民族と伝説は無尽蔵でこれを概要して規律正しく叙ぶるはとても拙筆では出来ぬ。だが昨年三月号竜の話の末文に大分メートル高く約束をしたから、今更黙ってもおれず、ざっと次のごとく事項を分け列ねた各題目の下に蛇についての諸国の民俗と伝説の一斑を書き集めよう、竜の話に出た事なるべくまた言わぬ故双参せて欲しい。

伝説一

隙行く駒の足早くて午の歳を迎うる今日明日となった。誠や十二支に配られた動物輩いずれ優劣あるべきでないが、附き添うた伝説の多寡に著しい逕庭あり。たとえば羊は今まで日本に多からぬもの故和製の羊譚はほとんど聞かず。猴の話は東洋に少なからねど、欧州に産せぬから彼方の古伝が乏しい。これに反し馬はアジアと欧州の原産、その弟ともいうべき驢はアフリカが本元で、それから世界中大抵の処へ弘まったに因って、その話は算うるに勝えぬほどあるが、馬を題に作った初唄唱う芸妓や、春駒を舞わせて来る物貰い同然、全国新聞雑誌の新年号が馬の話で読者を飽かすはず故、あり触れた和漢の故事を述べてまたその話かと言わるるを虞れ、唐訳の律蔵より尤も目出たい智馬の譚を約説して祝辞に代え、それから意馬の奔るに任せ、意い付き次第に雑言するとしよう。智馬の譚は現存パーリ文の『仏本生譚』にも見えるが、唐訳律中のほど面白からぬようだ。

明けまして子年となると、皆様一斉に鼠を連想する。子の年は鼠、丑の年は牛と、十二支に十二禽を割り当る事、古く支那に起って、日本・朝鮮・安南等の隣国に及ぼし、インドやメキシコにも多少似寄った十二物を暦日に配当した事あれど、支那のように方位に配当したと聞かぬ(拙文「四神と十二獣について」)。清の趙翼の『陔余叢考』三四にいわく、『春風楼随筆』に、『唐書』にキルギス国では十二物で年を紀して寅年を虎年という。『宋史』に吐蕃では兎の年に俺が生まれた、馬の年に隣りの七兵衛が妻を娶ったなどいう。邱処機が元の太祖に奏した疏に竜児の年三月日奏すとあり、元の時泰山に立てた碑に泰定鼠児の年、また至正猴児の年とあり、北方諸国には以前子丑寅卯の十二支なく専ら鼠牛虎兎の十二禽で年を紀した。それが支那に伝わり十二支と合併したのじゃと見える。しかし周達観の『真臘風土記』にカンボジアでも鼠牛虎兎で年を紀す事全く支那同様、ただ馬をモミー、鶏をロカなどその国語で呼ぶだけ異なりとあれば北方に始まったのでないとある(一八八三年板、ムーラの『柬埔〓誌』一巻一五七頁参照)。十分断言しておらぬがまずは十二禽で歳時を紀す風は支那に起って南北諸隣国へ弘まったというのだ。それから『叢考』に十二禽を十二支に当てるは後漢に始まったと論じた。しかし『古今要覧稿』五三一に、前漢の書『淮南子』に山中で未の日の主人と称うるは羊なりといい、戦国の頃『荘子』が〈いまだかつて牧を為さずして牂奥に生ず〉といえるを『釈文』に西南隅未地といえれば羊を未に配当したは後漢に始まったでないといい、故竹添進一郎氏の『左氏会箋』一四に引かれた銭錡の説に今の牛宿の星群は子宮にあって丑宮にあらず、周の時元枵という星が虚宿二星の一たり、枵は耗で鼠は物を耗し虚しくする、当時この星群が子宮にありたればこそこんな名を付けた、しかるに今は子宮にあらずして亥宮にある。また豕韋という星は周の時亥宮にあり、亥は猪、すなわち豕に当るからかく名づけた。しかるに今は戌宮に居る、かく一宮ずつ星宿の位置が後れて来たのを勘定すると、周時代に正しく星宿の位置に拠って十二辰を定めたのだとある。すなわち十二禽は周の時十二支に当てられたのだ。予は天文の事はあんまりな方だが、幼年の頃就いて学んだ鳥山啓先生、この人は後に東京へ出て華族女学校に教務を操り八、九年前歿せられたが、和漢蘭の学に通じ田中芳男男も毎に推称された博識だった。この先生予輩に『論語』に北辰のその処に居りて衆星これに向うがごとしとあるを講ずるついでに、孔子の時は北辰が天の真中にあったからこう言われた、只今は北辰の位置がすべって句陳という星が天の真中に坐り居ると説かれた。漢の石申の『星経』上に句陳は大帝の王妃なりとあれば新しい女どもが跋扈するももっとも、天さえ女主に支配さるる当世だと見える。かく星宿の名と古今星宿の位置の変移から推した銭氏の説は誠に正説で、クラーク女史が「支那で日の黄道を十二分し、十二禽の名を付け、順次日の進行に逆ろうて行くとしたは珍無類のやり方で支那に起りしや疑いなし」といったごとく(『大英百科全書』十一板、二八巻九九五頁)十二禽なる具体的の名から離れて十二支なる抽象的の象徴を周の支那人が大成したのだ。

ここまでで全体の約6%。残り約103分は、名著伴読で続きから読めます。分からない箇所は、その場で著者に聞けます。

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出典: 青空文庫(南方熊楠『十二支考』)。本文は著作権の保護期間が満了した公開テキストです。

節ごとの読了の目安

名著伴読は長い作品を一度に読み切れる長さへ区切っています。下の内訳はその区切りです。

節見出し目安
1(一)名義の事約10分
2(三)虎と人や他の獣との関係約12分
3(四)史話約18分
4(五)仏教譚(1/2)約20分
5(五)仏教譚(2/2)約15分
6(六)虎に関する信念約15分
7(七)虎に関する民俗約20分

「『十二支考』は何を書いた作品ですか」

この問いに、南方熊楠はこう書いています。下はすべて原文からの逐語引用です。

明けまして子年となると、皆様一斉に鼠を連想する。
来年は亥の歳だから、例に依ってイノシシの話の原稿を早く纏めて送れという訳と解いたので、初めて気が付いてこの篇に取り掛かった。
こんなに考えると子年だから鼠の話を書くなど誠に気の利かぬ咄しだが、毎歳やって来たこと故書き続ける。

名著伴読では、こうした箇所を南方熊楠の一人称でつなぎ、必ず原文の引用を添えて答えます。引用は原文と一字一句照合したものだけを出し、触れると原文のその箇所へ移動します。AI による再現であり、本人の発言ではありません。

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