収録作品 / 名著伴読

南方熊楠『人柱の話』

人柱の伝承を古今東西から集める

全文 13,741字・読了の目安 約27分(2節)。青空文庫の公開テキストを、縦書きの原文のまま読めます。

原文(はじめの5分)

(南方閑話にも收めたれど、一層増補したる者を爰に入る)

建築土工等を固めるため人柱を立てる事は今も或る蕃族に行なはれ其傳説や古蹟は文明諸國に少なからぬ。例せば印度の土蕃が現時も之を行なふ由時々新聞にみえ、ボムパスのサンタルパーガナス口碑集に王が婿の強きを忌んで、畜類を供えても水が湧かぬ涸池の中に乘馬のまゝ婿を立せると流石は勇士で、水が湧いても退かず、馬の膝迄きた、吾が膝まできた、脊迄きたと唄ひ乍ら、彌々水に沒した。其跡を追つて妻も亦其池に沈んだ話がある。源平盛衰記にも又清盛が經の島を築く時白馬白鞍に童を一人のせて人柱に入れたとあれば乘馬の儘の人柱も有つたらしい。但し平家物語には、人柱を立てようと議したが罪業を畏れ一切經を石の面に書いて築いたから經の島と名附けたとある。

今少し印度の例を擧げると、マドラスの一砦は建築の時娘一人を壁に築き込んだ。チユナールの一橋は何度かけても落ちたから、梵種の娘を其地神に牲にし、其れがマリー乃ち其處の靈と成り凶事ある毎に祭られる。カーチアワールでは城を築いたり塔が傾いたり池を掘るも水が溜らぬ時人を牲にした。シカンダールブール砦を立てた時梵種一人とヅサード族の娘一人を牲にした。ボムベイのワダラ池に水が溜らなんだ時村長の娘を牲にして水が溜つた。シヨルマット砦建立の際一方の壁が繰返し落ちたので或る初生の兒を生埋すると最早落ちなんだといふ。近頃も人口調査を行なふ毎に僻地の民は是は橋等の人柱に立てる人を選ぶ爲めだと騷ぎ立つ。河畔の村人は橋が架けらるゝ毎に嬰兒を人柱に取られると驚惶する。(一八九六年版クルックの北印度俗宗及俚俗卷二頁一七四。一九一六年版ホワイトヘッドの南印度村神誌六〇頁)パンジャブのシァルコット砦を築くに東南の稜堡が幾度も崩れたので、占者の言に據り寡婦の獨り子の男兒を牲にした。ビルマにはマンダレイの諸門の下に人牲を埋めて守護とし、タツン砦下に一勇士の屍を分ち埋めて其砦を難攻不落にし、甚しきは土堤を固めん爲め皇后を池に沈めた。一七八〇年頃タヴォイ市が創立された時、諸門を建るに一柱毎の穴に罪囚一人を入れ上より柱を突込んだ故四方へ鮮血が飛び散つた。其靈が不斷其柱の邊にさまよひ近付く者を害するより全市を無事にすと信ぜられたのだ。(タイラー原始人文篇、二版一卷、一〇七頁。バルフォールの印度百科全書三版四七八頁)

支那には春秋時代呉王闔閭の女藤王がすてきな疳癪持ちで、王が食ひ殘した魚をくれたと怒つて自殺した。王之を痛み、大きな冢を作つて金鼎玉杯銀樽等の寳と共に葬むり、又呉の市中に白鶴を舞はし萬民が觀に來たところ、其男女をして鶴と共に冢の門に入らしめ機を發して掩殺した。(呉越春秋二。越絶書二)生を殺して以て死に送る國人之を非とするとあるから無理に殉殺したのだが、多少は冢を堅固にする意も有つたらう。史記の滑稽列傳に見えた魏の文侯の時、鄴の巫が好女を撰んで河伯の妻として水に沈め洪水の豫防としたは事頗ぶる人柱に近い。ずつと後に唐の郭子儀が河中を鎭した時、水患を止めて呉れたら自分の娘を妻に奉ると河伯に祷ると水が退いた。扨程なく其娘が疾ひなしに死んだ。其骨で人形を作り廟に祀つた。所の者子儀を徳とし之を祠り河涜親家翁乃ち河神の舅さまと名づけた。現に水に沈めずとも水神に祀られた女は久しからぬ内に死すると信じたのだ。又漢の武帝は黄河の水が瓠子の堤防を切つた時卒數萬人を發して之を塞がしめたのみか、自ら臨んで白馬玉璧を堤の切れた處に置かしめたが奏功せず。漢の王尊東郡太守たりし時も此堤が切れた。尊自ら吏民を率ひ白馬を沈め珪璧を執り巫をして祝し請はしめ自身を其堤に埋めんとした。至つて貴い白馬や玉璧を人柱代りに入れてもきかぬ故太守自ら人柱に立たんとした。元代に浙江蕭山の楊伯遠の妻王氏は、其夫が里正たる所の堤が切れて何度築ても成らず、官から責らるゝを歎き、自ら股肉を割て水に投入れると忽ち堤が成たから股堰と名けたとは、河伯もよくよく女の股に思し召が有つたのだ(琅邪代醉篇三三。史記河渠書。淵鑑類函三六、三四〇、四三三。大清一統志一八○)。本邦にも經の島人柱の外に陸中の松崎村で白馬に乘つた男を人柱にし、其妻共に水死した話がある。(人類學雜誌三三卷一號、伊能嘉矩君の説)江州淺井郡の馬川は洪水の時白馬現じて往來人を惱ます。是は本文に述べた白馬に人を乘せ、若くは白馬を人の代りに沈めた故事が忘れられて馬の幽靈てふ迷信ばかり殘つたと見える。其から大夏の赫連勃々が叱干阿利をして城を築かしめると、此者工事は上手だが至つて殘忍で土を蒸して城を築き、錐でもみためして一寸入ればすぐ其處の擔當者を殺し、其屍を築き込んだ。かくて築き立てた寧夏城は鐵石程堅く、明の哱拜の亂に官軍が三月餘り圍んで水攻め迄したが内變なき間は拔けなんだ。アイユランドのバリポールトリー城をデーン人が建た時、四方から工夫を集め日夜休みなし物食はずに苦役せしめ、仆るれば壁上に其體をなげかけ其上に壁を築かしめた。後ち土民がデーン人を追拂ふた時、此城が最後に落ち父子三人のみ生きて囚はれた。一同直ちに殺さうと言つたが一人勸めて之を助命し、其代りアイリッシユ人が常に羨やむデーン人特長のヘザー木から美酒を造る秘訣を傳へよと言ふた。初めは中々聴き入れなんだがとう/\承引して、去らば傳へよう、だが吾れ歸國して後ち此事が泄れたら屹度殺さるゝから只今眼前に此二子を殺せ、其上で秘訣を語らうと述べた。變な望みだが一向此方に損の行かぬ事と其二子を殺すと老父「阿房共め、吾二子年若くて汝等に説かれて心動き、どうやら秘訣を授けさうだから殺させた、もはや秘訣は大丈夫洩るゝ氣遣ひがないわい」と大見得を切つたのでアイリツシユ人大に怒り、其老人を寸斷したが造酒の秘法は今に傳はらぬさうだ。

是等は人屍を築き込むと城が堅固だと明記はし居らぬが、左樣信じたればこそ築き込んだので、其信念が堅かつたに由つて極めてよく籠城したのだ。(近江輿地誌畧八五。五雜爼四。一八五九年版、ノーツ・エンド・キーリース撰抄、一〇一頁)予が在英中親交したロバート・ダグラス男が玉篋卦てふ占ひ書から譯した文をタイラーの原始人文篇、二版一卷一〇七頁に引いたが「大工が家を建て初めるに先づ近處の地と木との神に牲を供ふべし。其家が倒れぬ樣と願はゞ、柱を立てるに何か活きた物を下におき其上に柱を下す。扨邪氣を除く爲め斧で柱を打ちつゝよし/\此内に住む人々は毎も温かで食事足るべしと唱へる」とある。之に反し工人が家を建るに種々と其家と住人をまじなひ破る法あり、(遵生八牋七)紀州西牟婁郡諸村には大工が主人を怨み新築の家を呪して白蟻を招き害を加ふる術ある樣にきく。

ここまでで全体の約20%。残り約22分は、名著伴読で続きから読めます。分からない箇所は、その場で著者に聞けます。

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出典: 青空文庫(南方熊楠『人柱の話』)。本文は著作権の保護期間が満了した公開テキストです。

節ごとの読了の目安

名著伴読は長い作品を一度に読み切れる長さへ区切っています。下の内訳はその区切りです。

節見出し目安
1人柱の話(1/2)約19分
2人柱の話(2/2)約8分

「『人柱の話』は何を書いた作品ですか」

この問いに、南方熊楠はこう書いています。下はすべて原文からの逐語引用です。

日本で最も名高いのは例の「物をいふまい物ゆた故に、父は長柄の人柱」で
井林廣政氏から曾て伊豫大洲の城は立てる時お龜てふ女を人柱にしたのでお龜城と名づくと聞いた。
兎に角歐洲の方の人柱のやり方が日本よりも殘酷極まる。

名著伴読では、こうした箇所を南方熊楠の一人称でつなぎ、必ず原文の引用を添えて答えます。引用は原文と一字一句照合したものだけを出し、触れると原文のその箇所へ移動します。AI による再現であり、本人の発言ではありません。

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