山に生きた人々の記録と考察
全文 115,866字・読了の目安 約232分(27節)。青空文庫の公開テキストを、縦書きの原文のまま読めます。
自序
山の人生と題する短い研究を、昨年『朝日グラフ』に連載した時には、一番親切だと思った友人の批評が、面白そうだがよく解らぬというのであった。ああして胡麻かすのだろうという類の酷評も、少しはあったように感じられた。もちろん甚だむつかしくして、明晰に書いてみようもないのではあったが、もしまだ出さなかった材料を出し、簡略に失した説明を少し詳しくしてみたら、あれほどにはあるまいというのが、この書の刊行にあせった真実の動機であった。ところが書いているうちに、自分にも一層解釈しにくくなった点が現れたと同時に、二十年も前から考えていた問題なるにもかかわらず、今になって突然として心づくようなことも大分あった。従ってこの一書の、自分の書斎生活の記念としての価値は少し加わったが、いよいよ以て前に作った荒筋の間々へ、切れ切れの追加をする方法の、不適当であることが顕著になった。しかしこれを書き改めるがために費すべき時間は、もうここにはないのである。そのうえに資料の新供給を外部の同情者に仰ぐためにも、一応はこの形をもって世に問う必要があるのである。なるほどこの本には賛否の意見を学者に求めるだけの、纏まった結論というものはないかも知れぬが、それでも自分たち一派の主張として、新しい知識を求めることばかりが学問であることと、これを求める手段には、これまで一向に人に顧みられなかった方面が多々であって、それに今われわれが手を着けているのだということと、天然の現象の最も大切なる一部分、すなわち同胞国民の多数者の数千年間の行為と感想と経験とが、かつて観察し記録しまた攻究せられなかったのは不当だということと、今後の社会改造の準備にはそれが痛切に必要であるということとは、少なくとも実地をもってこれを例証しているつもりである。学問をもって文雅の士の修養とし、ないしは職業捜索の方便と解して怪まなかった人々は、このいわゆる小題大做に対して果していかなる態度を取るであろうか。それも問題でありまた現象である故に、最も精細に観測してみようと思う。
(大正十五年十月)
一 山に埋もれたる人生あること
今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞で斫り殺したことがあった。
女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。
眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、頻りに何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いでいた。阿爺、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕えられて牢に入れられた。
この親爺がもう六十近くなってから、特赦を受けて世の中へ出てきたのである。そうしてそれからどうなったか、すぐにまた分らなくなってしまった。私は仔細あってただ一度、この一件書類を読んで見たことがあるが、今はすでにあの偉大なる人間苦の記録も、どこかの長持の底で蝕ばみ朽ちつつあるであろう。
また同じ頃、美濃とは遙かに隔たった九州の或る町の囚獄に、謀殺罪で十二年の刑に服していた三十あまりの女性が、同じような悲しい運命のもとに活きていた。ある山奥の村に生まれ、男を持ったが親たちが許さぬので逃げた。子供ができて後に生活が苦しくなり、恥を忍んで郷里に還ってみると、身寄りの者は知らぬうちに死んでいて、笑い嘲ける人ばかり多かった。すごすごと再び浮世に出て行こうとしたが、男の方は病身者で、とても働ける見込みはなかった。
大きな滝の上の小路を、親子三人で通るときに、もう死のうじゃないかと、三人の身体を、帯で一つに縛りつけて、高い樹の隙間から、淵を目がけて飛びこんだ。数時間ののちに、女房が自然と正気に復った時には、夫も死ねなかったものとみえて、濡れた衣服で岸に上って、傍の老樹の枝に首を吊って自ら縊れており、赤ん坊は滝壺の上の梢に引懸って死んでいたという話である。
こうして女一人だけが、意味もなしに生き残ってしまった。死ぬ考えもない子を殺したから謀殺で、それでも十二年までの宥恕があったのである。このあわれな女も牢を出てから、すでに年久しく消息が絶えている。多分はどこかの村の隅に、まだ抜け殻のような存在を続けていることであろう。
我々が空想で描いて見る世界よりも、隠れた現実の方が遙かに物深い。また我々をして考えしめる。これは今自分の説こうとする問題と直接の関係はないのだが、こんな機会でないと思い出すこともなく、また何ぴとも耳を貸そうとはしまいから、序文の代りに書き残して置くのである。
二 人間必ずしも住家を持たざること
黙って山へ入って還って来なかった人間の数も、なかなか少ないものではないようである。十二三年前に、尾張瀬戸町にある感化院に、不思議な身元の少年が二人まで入っていた。その一人は例のサンカの児で、相州の足柄で親に棄てられ、甲州から木曾の山を通って、名古屋まできて警察の保護を受けることになった。
今一人の少年はまる三年の間、父とただ二人で深山の中に住んでいた。どうして出てきたのかは、この話をした二宮徳君も知らなかったが、とにかくに三年の間は、火というものを用いなかったと語ったそうである。食物はことごとく生で食べた。小さな弓を造って鳥や魚を射て捕えることを、父から教えられた。
ここまでで全体の約2%。残り約227分は、名著伴読で続きから読めます。分からない箇所は、その場で著者に聞けます。
出典: 青空文庫(柳田國男『山の人生』)。本文は著作権の保護期間が満了した公開テキストです。
名著伴読は長い作品を一度に読み切れる長さへ区切っています。下の内訳はその区切りです。
| 節 | 見出し | 目安 |
|---|---|---|
| 1 | 自序 | 約15分 |
| 2 | 自序 五 女人の山に入る者多きこと | 約4分 |
| 3 | 自序 六 山の神に嫁入すということ | 約6分 |
| 4 | 自序 七 町にも不思議なる迷子ありしこと | 約6分 |
| 5 | 自序 八 今も少年の往々にして神に隠さるること | 約6分 |
| 6 | 自序 九 神隠しに遭いやすき気質あるかと思うこと | 約4分 |
| 7 | 自序 一〇 小児の言によって幽界を知らんとせしこと | 約7分 |
| 8 | 自序 一一 仙人出現の理由を研究すべきこと | 約12分 |
| 9 | 自序 一二 大和尚に化けて廻国せし狸のこと | 約10分 |
| 10 | 自序 一三 神隠しに奇異なる約束ありしこと | 約8分 |
| 11 | 自序 一四 ことに若き女のしばしば隠されしこと | 約5分 |
| 12 | 自序 一五 生きているかと思う場合多かりしこと | 約8分 |
| 13 | 自序 一六 深山の婚姻のこと | 約5分 |
| 14 | 自序 一七 鬼の子の里にも産まれしこと | 約9分 |
| 15 | 自序 一八 学問はいまだこの不思議を解釈しえざること | 約6分 |
| 16 | 自序 一九 山の神を女性とする例多きこと | 約13分 |
| 17 | 自序 二〇 深山に小児を見るということ | 約5分 |
| 18 | 自序 二一 山姥を妖怪なりとも考えがたきこと | 約10分 |
| 19 | 自序 二二 山女多くは人を懐かしがること | 約7分 |
| 20 | 自序 二三 山男にも人に近づかんとする者あること | 約7分 |
| 21 | 自序 二五 米の飯をむやみに欲しがること | 約6分 |
| 22 | 自序 二六 山男が町に出で来たりしこと | 約9分 |
| 23 | 自序 二七 山人の通路のこと | 約5分 |
| 24 | 自序 二八 三尺ばかりの大草履のこと | 約10分 |
| 25 | 自序 二九 巨人の足跡を崇敬せしこと | 約11分 |
| 26 | 自序 三〇 これは日本文化史の未解決の問題なること | 約13分 |
| 27 | 山人考 大正六年日本歴史地理学会大会講演手稿 一 | 約25分 |
この問いに、柳田國男はこう書いています。下はすべて原文からの逐語引用です。
「山に埋もれたる人生ある事」という題で、私のいちばん印象の深かった人殺しの刑事事件を二つ続けて書いたのであるが、本の終りには「山男」というものの研究は、人類学上必要だということを書いた。
神隠しの話と、山中の不可思議なことを集めて、『山の人生』という本にしたわけであった。
なるほどこの本には賛否の意見を学者に求めるだけの、纏まった結論というものはないかも知れぬが、それでも自分たち一派の主張として、新しい知識を求めることばかりが学問であることと
名著伴読では、こうした箇所を柳田國男の一人称でつなぎ、必ず原文の引用を添えて答えます。引用は原文と一字一句照合したものだけを出し、触れると原文のその箇所へ移動します。AI による再現であり、本人の発言ではありません。
名著伴読は青空文庫および各著者の関係団体とは無関係の非公式アプリです。