衣食の変化から暮らしを読む
全文 177,453字・読了の目安 約355分(30節)。青空文庫の公開テキストを、縦書きの原文のまま読めます。
自序
女と俳諧、この二つは何の関係も無いもののように、今までは考えられておりました。しかし古くから日本に伝わっている文学の中で、是ほど自由にまたさまざまの女性を、観察し描写し且つ同情したものは他にありません。女を問題とせぬ物語というものは昔も今も、捜して見出すほどしか無いといわれておりますが、それはみな一流の佳人と才子、または少なくとも選抜せられた或る男女の仲らいを叙べたものでありました。これに反して俳諧は、なんでもない只の人、極度に平凡に活きている家刀自、もっと進んでは乞食、盗人の妻までを、俳諧であるが故に考えてみようとしているのであります。歴史には尼将軍、淀の方という類の婦人が、稀々には出て働いておりまして、国の幸福がこれによって左右せられたこともありますが、こういう人たちをわが仲間のうちと考えて、歴史に興味を抱くようになった女性の、少なかったのはまことに已むを得ません。振り回って後姿を眺めようとするような心持が、女と歴史とのすれちがいには起こらなかったのであります。有りとあらゆる前代の人の身の上は、小説の中にすらも皆は伝わっておりません。それを俳諧だけが残りなく、見渡し採り上げて咏歎しようとしていたのであります。女は通例自分たちの事を噂せられるのを、知らずに過ぎるということはないものですが、奇妙に俳諧だけは冷淡視していました。その原因は御承知のごとく、俳諧というものが連歌の法式を受け継いで、初めの表の六句ではなるべく女性を問題とせず、特に恋愛は取扱わぬことにしていまして、そうして今日俳諧として鑑賞せられているのが、そのまた第一の句だけであったからであります。店先にはまじめくさった年輩の男たちばかり出入しているのを見て、これは女などには用の無いところと、奥には何があるのかを覗いて見ようともせずに、素通りした人の多かったのも無理はありませんが、実はその暖簾の陰にこそ、紅紫とりどりの女の歴史が、画かれてあったのであります。歴史にこの無数無名の二千年間の母や姉妹が、黙って参与していたことを信ずる者は、これを説くためにも俳諧を引用しなければなりません。そうして私がこの意外なる知識を掲げて、人を新たなる好奇心へ誘いこむ計略も、白状をすればまた俳諧からこれを学びました。
『七部集』は三十何年来の私の愛読書であります。これを道案内に頼んでこの時代の俳諧の、近頃活字になったものも追々に読んでみました。その折々の心覚えを書き留めておいたのを、近頃取出して並べて見ますと、大部分は女性の問題であったことが、自分にも興味を感じられます。それで二三の関係ある文章を取添えて、一冊の本にすることにしたのであります。大抵は人に語りまたは何かの集まりに話をしたものの手控えのままなので、聴手の種類や年齢に応じて、表現の形が少しずつかわり、文章も大分不揃いであります。それがこの書を「女性読本」と題しなかった一つの理由であります。
或いは男のくせにという批判を、誰かから受けそうな気もしますが、実は私には女の子が四人あり、孫も四人あって四人とも女です。彼らとともに、またはその立場から、次の時代を考えてみなければならぬ必要が、前にもあり今もしばしばあるのであります。是がもしも一身一家にしか用の無い問題であるならば、そういう研究は学問ということができぬのですが、幸いなことには私たちの境遇は、かなり多くの同時代人を代表しているらしいのであります。此方で望ましいことが彼方では害になり、一方のためには智慧であり啓発であっても、他の一方では疑い惑う人々を、誤りに導くかも知れぬというような懸念は、お互いの足元を比べ合わせてみれば、まず少しも無いと信じられるのであります。こういう経験こそは頒たなければなりません。それ故に私たちは、自分自分の疑惑から出発する研究を、些しも手前勝手とは考えておらぬのみか、むしろ手前には何の用も無いことを、人だけに説いて聴かせようとする職業を軽蔑しているのであります。現在の日本に自国の学問が無ければならぬということを、私などはこういう風に解しております。俳諧に残っているのは小さな人生かも知れませんが、とにかく今までは顧みられないものでありました。事は過去に属しつつも、依然として新しい知識であります。そうしてまた現在の疑惑の種子であります。是からの日本に活きて行こうとする人々に、おふるでないものをさし上げたいと、私だけは思っているのであります。
昭和十四年四月
木綿以前の事
一
『七部集』の附合の中には、木綿の風情を句にしたものが三カ処ある。それから木綿とは言ってないが、次の『炭俵』の一節もやはりそれだろうと私は思っている。
分にならるる娵の仕合 利牛
はんなりと細工に染まる紅うこん 桃隣
鑓持ちばかり戻る夕月 野坡
まことに艶麗な句柄である。近いうちに分家をするはずの二番息子の処へ、初々しい花嫁さんが来た。紅をぼかしたうこん染めの、袷か何かをきょうは着ているというので、もう日数も経っているらしいから、これは不断着の新しい木綿着物であろう。次の附句は是を例の俳諧に変化させて、晴れた或る日の入日の頃に、月も出ていて空がまだ赤く、向こうから来る鑓と鑓持ちとが、その空を背景にくっきりと浮き出したような場面を描いて、「細工に染まる紅うこん」を受けてみたのである。またこれとは正に反対に、同じ恋の句でも寂しい扱い方をしたものが、『比佐古』の亀の甲の章にはある。
薄曇る日はどんみりと霜をれて 乙州
鉢いひ習ふ声の出かぬる 珍碩
染めてうき木綿袷のねずみ色 里東
撰りあまされて寒き明ぼの 探志
この一聯の前の二句は、初心の新発意が冬の日に町に出て托鉢をするのに、まだ馴れないので「はち/\」の声が思い切って出ない。何か仔細の有りそうな、もとは良家の青年らしく、折角染めた木綿の初袷を、色もあろうに鼠色に染めたと、若い身空で仏門に入ったあじきなさを歎じていると、後の附句ではすぐにこれをあの時代の、歌比丘尼の身すぎの哀れさに引移したのである。木綿が我邦に行われ始めてから、もう大分の年月を経ているのだが、それでもまだ芭蕉翁の元禄の初めには、江戸の人までが木綿といえば、すぐにこのような優雅な境涯を、聯想する習わしであったのである。
ここまでで全体の約1%。残り約350分は、名著伴読で続きから読めます。分からない箇所は、その場で著者に聞けます。
出典: 青空文庫(柳田國男『木綿以前の事』)。本文は著作権の保護期間が満了した公開テキストです。
名著伴読は長い作品を一度に読み切れる長さへ区切っています。下の内訳はその区切りです。
| 節 | 見出し | 目安 |
|---|---|---|
| 1 | 自序 | 約14分 |
| 2 | 何を着ていたか 一 | 約15分 |
| 3 | 昔風と当世風 一 | 約23分 |
| 4 | 働く人の着物 一 | 約8分 |
| 5 | 国民服の問題 一 | 約9分 |
| 6 | 団子と昔話 一 | 約17分 |
| 7 | 餅と臼と擂鉢 二 | 約10分 |
| 8 | 餅と臼と擂鉢 四 | 約5分 |
| 9 | 餅と臼と擂鉢 五 | 約6分 |
| 10 | 餅と臼と擂鉢 六 | 約8分 |
| 11 | 餅と臼と擂鉢 七 | 約8分 |
| 12 | 家の光 | 約5分 |
| 13 | 囲炉俚談 一 | 約14分 |
| 14 | 火吹竹のことなど 一 | 約10分 |
| 15 | 女と煙草 | 約6分 |
| 16 | 酒の飲みようの変遷 一 | 約15分 |
| 17 | 凡人文芸 一 | 約9分 |
| 18 | 古宇利島の物語 | 約6分 |
| 19 | 遊行女婦のこと 一 | 約20分 |
| 20 | 寡婦と農業 一 | 約7分 |
| 21 | 寡婦と農業 三 | 約8分 |
| 22 | 寡婦と農業 五 | 約8分 |
| 23 | 寡婦と農業 七 | 約8分 |
| 24 | 山伏と島流し 一 | 約19分 |
| 25 | 生活の俳諧 一 | 約17分 |
| 26 | 生活の俳諧 七 | 約14分 |
| 27 | 生活の俳諧 一一 | 約15分 |
| 28 | 女性史学 四 | 約10分 |
| 29 | 女性史学 七 | 約19分 |
| 30 | 女性史学 一三 | 約22分 |
この問いに、柳田國男はこう書いています。下はすべて原文からの逐語引用です。
然らば多くの日本人は何を着たかといえば、勿論主たる材料は麻であった。
その特徴は何色にでもよく染まること、麻には不可能なる鮮かな染模様でも縞でも、次々の工作によって自由に製品の改良ができる。
以前の麻のすぐな突張った外線はことごとく消えてなくなり、いわゆる撫で肩と柳腰とが、今では至って普通のものになってしまったのである。
名著伴読では、こうした箇所を柳田國男の一人称でつなぎ、必ず原文の引用を添えて答えます。引用は原文と一字一句照合したものだけを出し、触れると原文のその箇所へ移動します。AI による再現であり、本人の発言ではありません。
名著伴読は青空文庫および各著者の関係団体とは無関係の非公式アプリです。