収録作品 / 名著伴読

柳宗悦『工芸の道』

用と美の結びつきを論じた主著

全文 165,302字・読了の目安 約331分(21節)。青空文庫の公開テキストを、縦書きの原文のまま読めます。

原文(はじめの6分)

新版の序

この一冊は、私がかつて工藝の性質について書いた最初のまとまった論文である。もう二十七年も前に書いたものであるから、今からすれば訂正すべき個所もないではないが、しかし本質的な点では、今も正しい見方であると信じる。新版を出すに当って、多少の改訂を加え、また挿絵は全部取りかえ、東西新古の作品から選んだ。

この本は、当時工藝に関して、未だ見るべき著作が他になかったためもあるが、私の生涯にも深い因縁を結ぶものとなり、この本を通して多くの友達を得、かつまた今日「民藝運動」と呼ばれるものの理論的基礎となるに至ったのである。それ故、私の三十代の著書ではあるが、はなはだ思い出の深いものがあり、多くの読者からの要望もあって、この選集の第一巻に配したのである。

巻頭にある第一章、すなわち「工藝の美」と題したものは、昭和十七年に別冊の私版本として印刷され、またこの章と、第四章の一部とを合せ、かつて『民と美』の巻頭に入れたことがある。この選集を編むに際し、すべてを再び原位置に戻した。

工藝の意義がまだ不当に看過されている今日、明日の理解を高めるために、この一冊がなお役立つことを望んでいる。

差しはさんだ小間絵は鈴木繁男君の筆、校正は浅川園絵さんの労に負う。題扉はいつもの如く芹澤銈介兄の技。共に感謝。

昭和二十九年十一月

宗悦

序

この書は昭和二年四月雑誌「大調和」創刊号から翌年正月号までの間に、「工藝の道」と題して引き続き九回にわたって連載した論文の集録である。上梓するに当って編次を改め、すべてを訂正増補し、各篇を一層有機的に結んだ。

工藝の諸問題はまだ処女地として残る。あの堆積された美術論に比べては、いかにまだ初歩にあるであろう。不思議にも工藝の意義に関する深い叡智や正しい見通しは未だに語られていない。ほとんどすべては断片的であって整理せられた体系がなく、かついずれも内面的意味に乏しい。まだ耕して培わねばならぬ個所が限りなく拡がる。その土地の性質や何がそこに生い立つかについても見残されまた見誤られたものがはなはだ多い。

しかし早晩誰かが出てこの未墾の地に鋤を入れねばならぬ。それが耕すに足りる天然の沃野であるということに疑いはない。私はここに最初の難多き準備の仕事に身を置いたのである。すべての開墾者がなすように、私も雑草を抜き去り、石を除き、土塊を砕き、畑を整えようと努めたのである。私はそこに幾個かの種を下ろした。いつか春は廻り芽萌える時は来るであろう。収穫の悦びは来るべき人々の所有である。私のなさねばならぬ務めは、その実の日に備えるための最初の支度である。私は多くの愛と熱情とをもってこの仕事をなした。

想えばここに現れた一つの思想に到達するために、十有余年の歳月がその観察と内省とのために流れた。そうして過去一ヶ年の間休む折もなく筆を続けた。私には真に追うに足りる意味深き問題であると考えられた。だがある友達はなぜ私が宗教への思索を離れて、かかる奇異な問題に外れたかを嘆いてくれた。昔に帰るようにと同じく忠告してくれる人々が他にもあるであろう。私はその志を嬉しくは受けるが、この書を読まれるならば大方の誤解は解け去るであろう。私は宗教の真理に懶惰であったのではない。工藝という媒介を通して、私の前著『神に就て』においてようやく摸索し得た最後の道、「他力道」の深さと美しさとをまともに見つめたのである。したがって工藝を物語ってはいるが、私としてみればやはり「信」の世界を求める心の記録である。

多くの人々は宗教の法則は、ただ宗教のことのみであると思うようである。だが万般の事象は皆同じ法のもとに育まれているのである。人々は宗教と工藝とその間に何の縁があるかを訝しく尋ねる。そうしてそれをただの器物のことに過ぎぬと云って蔑むようである。しかしそれは隈なく行き渡る法の力を知らないためか、または法にかかる力があるとは信じないためか、むしろかかる見方をこそあまりに非宗教的と呼ぶことができよう。ただの器物とはいうが、低い小さなその存在にも驚くべき秘義が潜んでいる。何ものも法を離れて存在しているのではない。このことについては本書自らが答えを贈るであろう。

私がこの書において最も強めて説こうとするところは、いかに工藝美が、「民衆」とか「実用」とか「多量」とか「廉価」とか「通常」とかいう平凡な世界と、深い結縁にあるかを示すことにあった。否、それらの性質こそ工藝美の基礎となっているのを語るにあった。だが自らでは力弱い彼らであるから、この不思議を演ずるのは、彼ら以上の何ものかでなければならぬ。この匿れた背後の力を見究めることが私の求めであった。私は彼らを守護するものが自然の叡智であり、相愛の制度であるのを見た。無心な自然への帰依や、結合せられた衆生の心がそこに見える。その美は他力美である。この美に対しては、いかに「知識」とか「個性」とか「稀有」とか「高価」とか「異常」とかいうことが、いとど小さく見えるであろう。

必然注意は二つの点に注がれてくる。私はこの書において名もなき大衆への味方として立った。それはただ虐げられた者への同情においてではない。もっと強く凡庸を余儀なくされる大衆の運命に、積極的意義を肯定しようとするのである。誰か天才を罵り凡庸を讃える不明を犯す者があろう。だが私は大衆の見捨てられた一生に仕組まれている驚くべき摂理を明るみに出そうとするのである。そうしてその運命に備えられる巨大な意義を讃美しようとするのである。天才を讃える者がしばしば見失った一つの真理を呼び覚まそうとするのである。私は審美的理想と社会的理念との間に全き調和を観じる。社会問題に多忙な今日の学界に、この目撃と主張とが、一つの正しい資材として受けられるなら幸いである。

続いては見捨てられた日常の雑具に対する弁護である。用と最も厚く結合する雑器に、工藝美の最も健全な表示があるのを説こうとするのである。用器と美器とは一体であることをいおうとするのである。用との相即なくして工藝美はあり得ない。もしここに美の発足があるなら、日々誰もが用いる器物、生活に要する共通の用具、多量に作られる廉価な物、誰でも買える品々、最も平凡な持ち物、これらのものこそ最も厚く美と結ばれる運命にあるであろう。私の直観と理性とは、平凡なる存在物と異常な美との一致を肯定しないわけにゆかぬ。この神秘の提示こそ本書の負う重い使命である。ここに審美的理想はまた経済学的理念と結合する。以上、社会的相愛の生活や、貨幣価値からの能うかぎりの離脱が、美の保証たることを説こうとするのである。(読者はこれらのことに関する要旨を、最も簡明に「工藝の基礎」と題した一章中に見出すであろう)。

ここまでで全体の約2%。残り約325分は、名著伴読で続きから読めます。分からない箇所は、その場で著者に聞けます。

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出典: 青空文庫(柳宗悦『工芸の道』)。本文は著作権の保護期間が満了した公開テキストです。

節ごとの読了の目安

名著伴読は長い作品を一度に読み切れる長さへ区切っています。下の内訳はその区切りです。

節見出し目安
1新版の序約7分
2緒言 一約16分
3工藝の美 一約27分
4正しき工藝 一約6分
5正しき工藝 三(1/2)約20分
6正しき工藝 三(2/2)約17分
7正しき工藝 四約13分
8誤れる工藝 一約8分
9誤れる工藝 二約7分
10誤れる工藝 三約10分
11誤れる工藝 四約8分
12来るべき工藝 (上)工藝の基礎 一約22分
13来るべき工藝 (中)工藝と個人作家 序約26分
14来るべき工藝 (下)工藝と協団 序約25分
15工藝美論の先駆者について 一約22分
16概要(1/2)約20分
17概要(2/2)約15分
18挿絵について約19分
19挿絵について Ⅶ壺。磁器。銅絵、模様葡萄。朝鮮李朝。高七寸二分、胴径七寸八分。青山二郎氏蔵。約20分
20挿絵について 〓櫃。英国。雑木、鉄金具。恐らく十三世紀末。長さ四尺六寸、丈二尺二寸七分。Victoria Albert Museum 蔵。約5分
21挿絵について 〓卓。雑木。径一尺四寸三分、丈一尺六寸二分。六角。筆者蔵(現在、日本民藝館蔵)。約17分

「『工芸の道』は何を書いた作品ですか」

この問いに、柳宗悦はこう書いています。下はすべて原文からの逐語引用です。

この書は昭和二年四月雑誌「大調和」創刊号から翌年正月号までの間に、「工藝の道」と題して引き続き九回にわたって連載した論文の集録である。
工藝の諸問題はまだ処女地として残る。
私はそこに幾個かの種を下ろした。

名著伴読では、こうした箇所を柳宗悦の一人称でつなぎ、必ず原文の引用を添えて答えます。引用は原文と一字一句照合したものだけを出し、触れると原文のその箇所へ移動します。AI による再現であり、本人の発言ではありません。

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