名著伴読

暮らしについて、3人がこう書いている

日々の暮らしと、そこにある物について。下はすべて原文からの逐語引用で、出どころを引用ごとに示しています。

北大路魯山人食と器と美意識を率直に語った料理家・陶芸家

「味が分かるとはどういうことですか」

味を身につけるには、客からのご馳走でなく、板前からの宛てがい扶持でなく、身銭を切って食ってみること。本気でそれを繰り返してこそ、初めて味が身につき、おのずと分って、真から得心がいくのである。北大路魯山人『道は次第に狭し』
結局、味を覚えることも、美術の鑑賞力を養うのと同じで、その先その先と、ものの深奥を極める努力によって向上するものらしい。北大路魯山人『道は次第に狭し』

「よい器とはどんな器ですか」

私は生きた食器、死んだ食器ということをいっておりますが、料理を盛って、生きた感じがしますのと、なにもかも殺してしまう食器とがあります。北大路魯山人『日本料理の基礎観念』
食器が下らぬものでは料理まで生きませんから、料理と食器とが一致し、調和するように心がけるのであります。北大路魯山人『日本料理の基礎観念』
その食器を選ぶということも、ただやかましくいうだけのことではなく、食器そのものを愛し、取り扱うことが楽しみであり、その食器をいたわりいたわり扱うというところに、料理との不二の契りが結ばれるのです。北大路魯山人『日本料理の基礎観念』

「おいしい料理に一番必要なものは何ですか」

料理に一番大事なことといえば、それは材料のよしあしを識ることである。北大路魯山人『味覚馬鹿』
それが場ちがいのもので、しかも古びた、さかなでいうなら、色の褪せた、臭気のあるようなものでは、いかに腕のある料理人でも、どうしたって美味くはならないものである。北大路魯山人『味覚馬鹿』

「日本料理の基本は何ですか」

すべて本来の持ち味をこわさないことが料理の要訣である。北大路魯山人『味覚馬鹿』
食品材料の良否を弁別することを第一とする。それが出来得る力こそ、日本料理の根本を知る者だ。北大路魯山人『世界の「料理王逝く」ということから』
よい魚ならば、塩を振って炭火でじかに焼いて、それで最高料理の一つになる。北大路魯山人『世界の「料理王逝く」ということから』

「鮎はどう食べるのが一番おいしいのですか」

食べるにははらわたを抜かないで、塩焼きにし、蓼酢によるのが一番味が完全で、しかも、香気を失わないでよい。北大路魯山人『鮎を食う』
醤油をつけて照り焼きなどにすれば、醤油の香りや味醂に邪魔され、その天稟の香気は、たちまち滅してしまう。北大路魯山人『鮎を食う』
脂肪とわたとの両側を備えたこの部分が、一番美味とする所なのだ。北大路魯山人『鮎ははらわた』
柳田國男日本の暮らしと伝承を見つめた民俗学者

「山に生きた人々はどんな暮らしをしていたのですか」

孤独なる山人には火を利用した形跡なく、しかも山中には虫魚鳥小獣のほかに草木の実と若葉と根、または菌類などが多く、生で食っていたという話はたくさんに伝えられます。柳田國男『山の人生』
日本では山中に塩分を含む泉至って多く、また食物の中にも塩気の不足を補うべきものがある。柳田國男『山の人生』
彼らは必要以上に遠くへ走るような余裕も空想もなかったと見えて、居るという地方にのみいつでもおりました。柳田國男『山の人生』

「木綿が来る前、人は何を着ていたのですか」

単純なる昔の日本人は、木綿を用いぬとすれば麻布より他に、肌につけるものは持ち合わせていなかったのである柳田國男『木綿以前の事』
然らば多くの日本人は何を着たかといえば、勿論主たる材料は麻であった。柳田國男『木綿以前の事』
木綿は織ったものもモメン、糸も此方はカナと謂って、是をイトとは謂わなかった。つまり麻だけが普通の布でありまた糸であったのである。柳田國男『木綿以前の事』

「日本人はどこから来たのですか」

日本人の信仰と米作とは切離して考えられないから、やはり大部分は南の米作地帯から米作をもって来たのだろうと思われる。柳田國男『故郷七十年』
私は稲作習俗をもった南の人種が、この潮流にのって、島影づたいに来たのではないかと考えている。柳田國男『故郷七十年』
日本民族が唯一つであるとする説はなりたたない。柳田國男『故郷七十年』

「遠野物語は何のために書かれたのですか」

思ふに遠野郷にはこの類の物語なほ数百件あるならん。われわれはより多くを聞かんことを切望す。柳田國男『遠野物語』
願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。柳田國男『遠野物語』
三百数十里を隔てた両地の人々に、互いに希風殊俗というものは無いということを、心付かせたいというような望みもあった。柳田國男『予が出版事業』
柳宗悦無名の職人の器に美を見いだした民藝の創始者

「用と美はどう結びつくのですか」

用を離れる限り、美は約束されておらぬ。正しく仕える器のみが、正しき美の持主である。柳宗悦『民芸四十年』
ここに用というのは、単に物への用のみではないのです。それは同時に心への用ともならねばなりません。柳宗悦『民芸とは何か』
用に交ることが美に交る所以なのです。そうして用を離れる時、美をもまた離れてくるのです。柳宗悦『民芸とは何か』

「手仕事にはなぜ価値があるのですか」

そもそも手が機械と異る点は、それがいつも直接に心と繋がれていることであります。機械には心がありません。柳宗悦『手仕事の日本』
それ故手仕事は一面に心の仕事だと申してもよいでありましょう。柳宗悦『手仕事の日本』
そこには自由と責任とが保たれます、そのため仕事に悦びが伴ったり、また新しいものを創る力が現れたりします。柳宗悦『手仕事の日本』

「民藝とは何ですか」

民藝とは民衆が日々用いる工藝品との義です。それ故、実用的工藝品の中で、最も深く人間の生活に交る品物の領域です。柳宗悦『民芸とは何か』
それ故、不断使いにするもの、誰でも日々用いるもの、毎日の衣食住に直接必要な品々。そういうものを民藝品と呼ぶのです。柳宗悦『民芸とは何か』
工藝においては用美相即なのです。用を離れて美はないのです。これは工藝における根本的約束なのです。柳宗悦『民芸とは何か』

「美しいものはどこにあるのですか」

第二 これに反して今まで無視されてきた民藝品には、美しい品が豊富にあるという真理。柳宗悦『美の国と民芸』
用に交ることが美に交る所以なのです。そうして用を離れる時、美をもまた離れてくるのです。柳宗悦『民芸とは何か』

分からない一節は、その場で聞ける

引用した箇所は、どれもアプリで原文のまま読めます。読んでいて分からない一節があれば、その画面のまま著者に聞けます。答えには必ず著者本人の文章の逐語引用がつきます。

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