信仰について、3人がこう書いている
信じることを、3人が違う場所から書いています。下はすべて原文からの逐語引用で、出どころを引用ごとに示しています。

柳田國男日本の暮らしと伝承を見つめた民俗学者
孤独なる山人には火を利用した形跡なく、しかも山中には虫魚鳥小獣のほかに草木の実と若葉と根、または菌類などが多く、生で食っていたという話はたくさんに伝えられます。柳田國男『山の人生』
日本では山中に塩分を含む泉至って多く、また食物の中にも塩気の不足を補うべきものがある。柳田國男『山の人生』
彼らは必要以上に遠くへ走るような余裕も空想もなかったと見えて、居るという地方にのみいつでもおりました。柳田國男『山の人生』
単純なる昔の日本人は、木綿を用いぬとすれば麻布より他に、肌につけるものは持ち合わせていなかったのである柳田國男『木綿以前の事』
然らば多くの日本人は何を着たかといえば、勿論主たる材料は麻であった。柳田國男『木綿以前の事』
木綿は織ったものもモメン、糸も此方はカナと謂って、是をイトとは謂わなかった。つまり麻だけが普通の布でありまた糸であったのである。柳田國男『木綿以前の事』
日本人の信仰と米作とは切離して考えられないから、やはり大部分は南の米作地帯から米作をもって来たのだろうと思われる。柳田國男『故郷七十年』
私は稲作習俗をもった南の人種が、この潮流にのって、島影づたいに来たのではないかと考えている。柳田國男『故郷七十年』
日本民族が唯一つであるとする説はなりたたない。柳田國男『故郷七十年』
思ふに遠野郷にはこの類の物語なほ数百件あるならん。われわれはより多くを聞かんことを切望す。柳田國男『遠野物語』
願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。柳田國男『遠野物語』
三百数十里を隔てた両地の人々に、互いに希風殊俗というものは無いということを、心付かせたいというような望みもあった。柳田國男『予が出版事業』

南方熊楠博覧強記の博物学者・粘菌研究者
建築の方則を知ること淺きより屡々壁崩れ柱傾くをみて地神の不機嫌故と心得、驚懼の餘り地の幾分を占め用ふる償ひに人を牲に供へたと。南方熊楠『人柱の話』
こんな事が外國へ聞えては大きな國辱といふ人も有らんかなれど、そんな國辱はどの國にもある。南方熊楠『人柱の話』
人を牲に供えて地神を慰めるてふ考へは追々人柱で土地の占領を確定し建築を堅固にして崩れ動かざらしむるてふ信念に變つたとベ氏は説いた。南方熊楠『人柱の話』
十二支に十二禽を割り当る事、古く支那に起って、日本・朝鮮・安南等の隣国に及ぼし南方熊楠『十二支考』
北方諸国には以前子丑寅卯の十二支なく専ら鼠牛虎兎の十二禽で年を紀した。それが支那に伝わり十二支と合併したのじゃと見える南方熊楠『十二支考』
まずは十二禽で歳時を紀す風は支那に起って南北諸隣国へ弘まったというのだ南方熊楠『十二支考』
第二に、神社合祀は民の和融を妨ぐ。例せば、日高郡御坊町へ、前年その近傍の漁夫が命より貴ぶ夷子社を合併せしより、漁夫大いに怒り南方熊楠『神社合祀に関する意見』
第七に、神社合祀は史蹟と古伝を滅却す。史蹟保存が本邦に必要なるは、史蹟天然物保存会の主唱するところなれば、予の細説を要せず。南方熊楠『神社合祀に関する意見』
第五に、神社合祀は愛国心を損ずることおびただし。愛郷心は愛国心の基なり、とドイツの詩聖は言えり。南方熊楠『神社合祀に関する意見』
花拆時有聲。花開く時、聲ある由を明記した例は是ばかりだ。南方熊楠『蓮の花開く音を聴く事』
一、蓮の開花の音を聽ば、蓮の臺に上る事が出來る。即ち、死後地嶽へ墮ちず、成佛ができると言傳へられ、又南方熊楠『蓮の花開く音を聴く事』
支那書に一寸見當らぬ(埤雅一七。廣群芳譜二九と三〇。古今圖書集成、草木典九六)。南方熊楠『蓮の花開く音を聴く事』

内村鑑三信念と生き方を熱く説いたキリスト教思想家
デンマークはこれがために窮困の極に達しました。もとより多くもない領土、しかもその最良の部分を持ち去られたのであります。内村鑑三『デンマルク国の話』
「しかしながらわれらは外に失いしところのものを内において取り返すを得べし、君らと余との生存中にわれらはユトランドの曠野を化して薔薇の花咲くところとなすを得べし」内村鑑三『デンマルク国の話』
国の興亡は戦争の勝敗によりません、その民の平素の修養によります。内村鑑三『デンマルク国の話』
それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。内村鑑三『後世への最大遺物』
パウロ彼自身はこのパウロの書いたロマ書や、ガラテヤ人に贈った書翰よりもエライ者であると思います。内村鑑三『後世への最大遺物』
すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。内村鑑三『後世への最大遺物』
それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。内村鑑三『後世への最大遺物』
この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。内村鑑三『後世への最大遺物』
後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた内村鑑三『後世への最大遺物』
分からない一節は、その場で聞ける
引用した箇所は、どれもアプリで原文のまま読めます。読んでいて分からない一節があれば、その画面のまま著者に聞けます。答えには必ず著者本人の文章の逐語引用がつきます。
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