自然について、5人がこう書いている
自然を見る目について、5人が書いています。科学者も、詩人も、博物学者も。下はすべて原文からの逐語引用で、出どころを引用ごとに示しています。

寺田寅彦科学の目で日常と災害を見つめた物理学者・随筆家
あの一九二三年の地震によって発生した直接の損害は副産物として生じた火災の損害に比べればむしろ軽少なものであったと言われている。寺田寅彦『函館の大火について』
ちょうど人間が前車の顛覆を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。寺田寅彦『天災と国防』
悪い年回りはむしろいつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明白なことであるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである。寺田寅彦『天災と国防』
よく「自然」は無尽蔵だと言いますがこれはあながち品物がたくさんにあるというだけの意味ではない。たとい一本の草、一塊の石でも細かに観察し研究すれば、数限りもない知識の泉になるというのです。寺田寅彦『夏の小半日』
無意識な定型を繰返している吾人の眼は、如何に或る意味で憐れな融通のきかきぬものであるかという事を知るための、一つの面白い、しかも極めて簡単な実験は、頭を倒にして股間から見馴れた平凡な景色を覗いて見る事である。たったそれだけの眼の向け方でも今まで見逃していた自然の美しさが今更のように目に立つのである。寺田寅彦『津田青楓君の画と南画の芸術的価値』
これは、この際誰しもそう思うことであろうが、それが実際はなかなかそうならないというのがこの人間界の人間的自然現象であるように見える。寺田寅彦『津浪と人間』
いつ来るかもわからない津波の心配よりもあすの米びつの心配のほうがより現実的であるからであろう。寺田寅彦『災難雑考』
残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう。寺田寅彦『津浪と人間』
「「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」とはどういう意味ですか」
「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味ではやはりほんとうである。寺田寅彦『科学者とあたま』
論理の連鎖のただ一つの輪をも取り失わないように、また混乱の中に部分と全体との関係を見失わないようにするためには、正確でかつ緻密な頭脳を要する。寺田寅彦『科学者とあたま』
頭のいい学者はまた、何か思いついた仕事があった場合にでも、その仕事が結果の価値という点から見るとせっかく骨を折っても結局たいした重要なものになりそうもないという見込みをつけて着手しないで終わる場合が多い。寺田寅彦『科学者とあたま』
ただ一ぱいのこの湯でも、自然の現象を観察し研究することの好きな人には、なかなかおもしろい見物です。寺田寅彦『茶わんの湯』
これに日光を当てると熱いところと冷たいところとの境で光が曲がるために、その光が一様にならず、むらになって茶わんの底を照らします。寺田寅彦『茶わんの湯』
あの「かげろう」というものも、この茶わんの底の模様と同じようなものです。寺田寅彦『茶わんの湯』

宮沢賢治ほんとうの幸いを求めた詩人・童話作家
慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラッテヰル宮沢賢治『〔雨ニモマケズ〕』
アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ宮沢賢治『〔雨ニモマケズ〕』
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ宮沢賢治『〔雨ニモマケズ〕』
お星さん。西の青じろいお星さん。どうか私をあなたのところへ連れてって下さい。灼けて死んでもかまいません。宮沢賢治『よだかの星』
いや、いつまで居てもおんなじだ。はちすずめへ、あとでよろしく云ってやって呉れ。さよなら。もうあわないよ。さよなら。宮沢賢治『よだかの星』
よだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。宮沢賢治『よだかの星』
それから頭を一つふって椅子へかけるとまるで虎みたいな勢でひるの譜を弾きはじめました。譜をめくりながら弾いては考え考えては弾き一生けん命しまいまで行くとまたはじめからなんべんもなんべんもごうごうごうごう弾きつづけました。宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』
「では弾くよ。」宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』
「いいとも弾くよ。」ゴーシュははじめました。宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』
ビジテリアンたちは、動物が可哀そうだという、一体どこ迄が動物でどこからが植物であるか、牛やアミーバーは動物だからかあいそう、バクテリヤは植物だから大丈夫というのであるか。宮沢賢治『ビジテリアン大祭』
動物には意識があって食うのは気の毒だが、植物にはないから差し支えないというのか。宮沢賢治『ビジテリアン大祭』
讃うべきかな神よ。神はまことにして変り給わない、神はすべてを創り給うた。宮沢賢治『ビジテリアン大祭』
ほんたうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんたうの幸福に近づく一あしづつですから。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
ああさうです。ただいちばんのさいはひに至るためにいろいろのかなしみもみんな、おぼしめしです。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
中谷宇吉郎雪の結晶を研究した物理学者の平明な随筆
しかしそれは、科学の処理し得る問題の範囲内での話である。一歩その範囲の外に出れば、案外に無力なものである。中谷宇吉郎『科学の限界』
科学の本来の姿は、自然の本性を見窮め、その間に秘められている法則を見つける学問、といっていいであろう。中谷宇吉郎『科学と国境』
自分の眼で一片の雪の結晶を見つめ、自然の持っている美しさと調和とに眼を開くことの方が、ずっと科学的である。中谷宇吉郎『自然の恵み』
科学者は木を見て森を見ない、哲学者は森の絵を見て満足している中谷宇吉郎『簪を挿した蛇』
このように見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。その暗号を読みとく仕事が即ち人工雪の研究であるということも出来るのである。中谷宇吉郎『雪』
さて、雪は高層において、まず中心部が出来それが地表まで降って来る間、各層においてそれぞれ異る生長をして、複雑な形になって、地表へ達すると考えねばならない。中谷宇吉郎『雪』
私の頭の中にいつの間にか、雪の結晶も人工で出来はしまいかという気持が涌いて来たのである。そこで早速三尺位の長さの銅の筒を作って、それを冷して置いて上部の孔から暖い水蒸気と冷い空気とを混ぜて吹き込んで見た。中谷宇吉郎『雪』
天には銅板はないということに気が付くのにまた一年かかった次第である。それで問題は全く最初に返って、天然の雪の結晶の出来る通りに真似をすれば良いという極めて平凡な結論に達したのである。中谷宇吉郎『雪を作る話』
その中で水蒸気の自然対流を適当に按配して結晶を作って見ると、わけなく天然のものに負けないような綺麗な雪の結晶の片割れが出来たのである。中谷宇吉郎『雪を作る話』

牧野富太郎植物を生涯愛し続けた植物学者
どうして翁草と云いますか牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝』
それはこの花がすんで実が成熟すると私の髪の毛のように真白くなるんで牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝』
その学問上の名は Polygonum tinctorium Lour. という植物であります。牧野富太郎『植物記』
植物に親しむことの第一は、先ず名前を正確に覚えるようにすることです。牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝』
これには芝居や映画を見るのと違い一銭もかけずに楽しむことが出来ます。牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝』
それはこの花がすんで実が成熟すると私の髪の毛のように真白くなるんで牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝』
私は土佐の出身で、学歴をいえば小学校を中途までしか修めないのであるが、小さい時から自然に植物が好きで、田舎ながらも独学でこの方面の研究は熱心に続けていたのである。牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝』
惟うて見れば誠に不思議なもので小学校も半分しかやらず、その後何処の学校へも這入らず、何の学歴も持たぬ私がポッカリ民間から最高学府の大学助手に成り講師に成り後には遂に博士の学位迄も頂戴したとは実にウソの様なマコトで実に世は様々、何がどうなるか判ったもんでは無い。牧野富太郎『植物記』
植物の学問は口舌や文字の学問でなく、徹頭徹尾実地の学問である。実地につき、実物について研究する処に植物学研究の真髄が存在する。牧野富太郎『植物記』
これはただの遊びごとにしたことでなく、たとえ楽しかったとはいえ、全く汗水流しての積極的採集で自分の学問のために努力したのである。それがため、私は植物の地理分布、種類などを自分から学ぶことができたのである。牧野富太郎『若き日の思い出』
ただ一直線に学問の道を脇目もふらず通ってきたのである。牧野富太郎『若き日の思い出』

南方熊楠博覧強記の博物学者・粘菌研究者
建築の方則を知ること淺きより屡々壁崩れ柱傾くをみて地神の不機嫌故と心得、驚懼の餘り地の幾分を占め用ふる償ひに人を牲に供へたと。南方熊楠『人柱の話』
こんな事が外國へ聞えては大きな國辱といふ人も有らんかなれど、そんな國辱はどの國にもある。南方熊楠『人柱の話』
人を牲に供えて地神を慰めるてふ考へは追々人柱で土地の占領を確定し建築を堅固にして崩れ動かざらしむるてふ信念に變つたとベ氏は説いた。南方熊楠『人柱の話』
十二支に十二禽を割り当る事、古く支那に起って、日本・朝鮮・安南等の隣国に及ぼし南方熊楠『十二支考』
北方諸国には以前子丑寅卯の十二支なく専ら鼠牛虎兎の十二禽で年を紀した。それが支那に伝わり十二支と合併したのじゃと見える南方熊楠『十二支考』
まずは十二禽で歳時を紀す風は支那に起って南北諸隣国へ弘まったというのだ南方熊楠『十二支考』
第二に、神社合祀は民の和融を妨ぐ。例せば、日高郡御坊町へ、前年その近傍の漁夫が命より貴ぶ夷子社を合併せしより、漁夫大いに怒り南方熊楠『神社合祀に関する意見』
第七に、神社合祀は史蹟と古伝を滅却す。史蹟保存が本邦に必要なるは、史蹟天然物保存会の主唱するところなれば、予の細説を要せず。南方熊楠『神社合祀に関する意見』
第五に、神社合祀は愛国心を損ずることおびただし。愛郷心は愛国心の基なり、とドイツの詩聖は言えり。南方熊楠『神社合祀に関する意見』
花拆時有聲。花開く時、聲ある由を明記した例は是ばかりだ。南方熊楠『蓮の花開く音を聴く事』
一、蓮の開花の音を聽ば、蓮の臺に上る事が出來る。即ち、死後地嶽へ墮ちず、成佛ができると言傳へられ、又南方熊楠『蓮の花開く音を聴く事』
支那書に一寸見當らぬ(埤雅一七。廣群芳譜二九と三〇。古今圖書集成、草木典九六)。南方熊楠『蓮の花開く音を聴く事』
分からない一節は、その場で聞ける
引用した箇所は、どれもアプリで原文のまま読めます。読んでいて分からない一節があれば、その画面のまま著者に聞けます。答えには必ず著者本人の文章の逐語引用がつきます。
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