名著伴読

生き方について、6人がこう書いている

どう生きるかを、6人がそれぞれの言葉で書いています。下はすべて原文からの逐語引用で、出どころを引用ごとに示しています。

宮沢賢治ほんとうの幸いを求めた詩人・童話作家

「「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」とはどんな人ですか」

慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラッテヰル宮沢賢治『〔雨ニモマケズ〕』
アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ宮沢賢治『〔雨ニモマケズ〕』
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ宮沢賢治『〔雨ニモマケズ〕』

「よだかはなぜ星になったのですか」

お星さん。西の青じろいお星さん。どうか私をあなたのところへ連れてって下さい。灼けて死んでもかまいません。宮沢賢治『よだかの星』
いや、いつまで居てもおんなじだ。はちすずめへ、あとでよろしく云ってやって呉れ。さよなら。もうあわないよ。さよなら。宮沢賢治『よだかの星』
よだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。宮沢賢治『よだかの星』

「ゴーシュは何によって上達したのですか」

それから頭を一つふって椅子へかけるとまるで虎みたいな勢でひるの譜を弾きはじめました。譜をめくりながら弾いては考え考えては弾き一生けん命しまいまで行くとまたはじめからなんべんもなんべんもごうごうごうごう弾きつづけました。宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』
「では弾くよ。」宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』
「いいとも弾くよ。」ゴーシュははじめました。宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』

「この作品は何を批判しているのですか」

ビジテリアンたちは、動物が可哀そうだという、一体どこ迄が動物でどこからが植物であるか、牛やアミーバーは動物だからかあいそう、バクテリヤは植物だから大丈夫というのであるか。宮沢賢治『ビジテリアン大祭』
動物には意識があって食うのは気の毒だが、植物にはないから差し支えないというのか。宮沢賢治『ビジテリアン大祭』
讃うべきかな神よ。神はまことにして変り給わない、神はすべてを創り給うた。宮沢賢治『ビジテリアン大祭』

「ほんとうの幸いとは何ですか」

ほんたうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんたうの幸福に近づく一あしづつですから。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
ああさうです。ただいちばんのさいはひに至るためにいろいろのかなしみもみんな、おぼしめしです。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
太宰治弱さと自意識を告白体で描いた小説家

「妻はなぜ夫を見捨てなかったのですか」

これからは、何でもこの調子で、軽く夫に甘えて、冗談を言い、ごまかしだって何だってかまわない、正しい態度で無くったってかまわない、そんな、道徳なんてどうだっていい、ただ少しでも、しばらくでも、気持の楽な生き方をしたい、一時間でも二時間でもたのしかったらそれでいいのだ太宰治『おさん』
でも、私は、それだけでも夫に甘えて、話をして笑い合う事が出来たのがうれしく、胸のしこりも、少し溶けたような気持で、その夜は、久しぶりに朝まで寝ぐるしい思いをせずにとろとろと眠れました。太宰治『おさん』

「葉蔵はなぜ道化を演じたのですか」

彼等は、しばしばこのやうな道化を演ずる。太宰治『道化の華』
彼等は天然の美しい舞臺裝置を見つけると、なぜか芝居をしたがるのだ。それは、紀念の意味かも知れない。太宰治『道化の華』
「あそこから、はねたのだ。」葉藏は、おどけものらしく眼をくるくると丸くして言ふのである。太宰治『道化の華』

「「富士には月見草がよく似合う」とはどういう意味ですか」

三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。太宰治『富嶽百景』
「おや、月見草。」さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。太宰治『富嶽百景』

「かず子は何を選んだのですか」

「いやだわ! 私、そんな話」太宰治『斜陽』
それはね、ひめごと、というものよ。いかが?太宰治『斜陽』
「行くところがある、というのは、どこ?」太宰治『斜陽』

「メロスが走り続けた理由は何ですか」

それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。太宰治『走れメロス』
ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。太宰治『走れメロス』
芥川龍之介人間心理と懐疑を切れ味よく描いた小説家

「人生について芥川龍之介は何と言っていますか」

一人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず。芥川龍之介『遺書』
二従つて汝等の力を恃むことを勿れ。汝等の力を養ふを旨とせよ。芥川龍之介『遺書』
うぬ惚れるな。同時に卑屈にもなるな。これからお前はやり直すのだ。芥川龍之介『闇中問答』

「河童の国は人間の何を風刺しているのですか」

河童は我々人間の真面目に思うことをおかしがる、同時に我々人間のおかしがることを真面目に思う――こういうとんちんかんな習慣です。芥川龍之介『河童』
家族制度というものは莫迦げている以上にも莫迦げているのです。芥川龍之介『河童』
僕らはただ河童ではない、人間であるという特権のために働かずに食っていられるのです。芥川龍之介『河童』

「下人はなぜ盗人になったのですか」

下人は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。芥川龍之介『羅生門』
では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。芥川龍之介『羅生門』
この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘にしようと思うたのじゃ。芥川龍之介『羅生門』

「カンダタはなぜ落ちたのですか」

こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。芥川龍之介『蜘蛛の糸』
急に犍陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断れました。ですから犍陀多もたまりません。あっと云う間もなく風を切って、独楽のようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。芥川龍之介『蜘蛛の糸』

「禅智内供の悩みは何ですか」

内供は実にこの鼻によって傷つけられる自尊心のために苦しんだのである。芥川龍之介『鼻』
長さは五六寸あって上唇の上から顋の下まで下っている。芥川龍之介『鼻』
人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。芥川龍之介『鼻』
新渡戸稲造修養と人格を穏やかに説いた教育者

「死をどう受けとめればいいのですか」

死の価値を定むるものは生であると思う。しかして生の価値を定むるものは義務である。新渡戸稲造『「死」の問題に対して』
己れの為すべき事を為して天にも地にも愧じない人は、死を見ること帰るが如くなるべきで新渡戸稲造『「死」の問題に対して』
ソクラテスは嫣然笑って、「さらば罪あって死ぬのは残念でないのか。死ぬる死なぬは畢竟第二義のことだ。心の鍛錬が第一義だ。」といって聞かした。新渡戸稲造『ソクラテス』

「人格はどうすれば育つのですか」

良い書物を読んで心を養うと言うても、即ち人格を養うというても思想を高尚にするというても新渡戸稲造『人格の養成』
剛柔が能くその分を守りその調和を保ちて、はじめて円満なる人格を作り上げる。新渡戸稲造『自警録』
その艱難を利用して己れの人格を一層高くするという意味で書いた歌に新渡戸稲造『人格の養成』

「ほんとうの自由とは何ですか」

心の欲する所は思い存分に行る、しかしその行うことにも自ら宜しき程度があって、その程度即ち矩を踰えない所に真の自由がある。新渡戸稲造『デモクラシーの要素』
社会に秩序があって暴力に対する恐怖心が不必要になり、あるいは自分の説の行わるる希望を懐き、あるいは自分の疲れた体を憩うて身体の健全を維持する望を懐き、積極的行動を為しても、何人もこれを妨ぐる者なく、相互の生命、財産、思想、人格を尊敬する様になって、始めて自由が実現されるのである。新渡戸稲造『デモクラシーの要素』
一体自由というは決して自分勝手な事をする意味ではない。即ち放肆とは違う。新渡戸稲造『デモクラシーの要素』

「自分を励ますにはどうすればいいのですか」

事に当たって惑うときも苦しむときもちょっと一歩退いて、新渡戸稲造『自警録』
そのときにはこうしようと思ったが、今日その通りできぬはずがない新渡戸稲造『自警録』
もしこれがソクラテス翁さんであったら、この一刹那を如何に処するであろう、と振返って、静に焦立つ精神を鎮めてみる新渡戸稲造『ソクラテス』
福沢諭吉学問と独立自尊を歯切れよく説いた啓蒙思想家

「独立自尊とはどういう生き方ですか」

心身の独立を全うし、自から其身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云ふ。福沢諭吉『修身要領』
自から労して自から食ふは、人生独立の本源なり。独立自尊の人は自労自活の人たらざる可らず。福沢諭吉『修身要領』
社会共存の道は、人々自から権利を護り幸福を求むると同時に、他人の権利幸福を尊重して、苟も之を犯すことなく、以て自他の独立自尊を傷けざるに在り。福沢諭吉『修身要領』

「「天は人の上に人を造らず」の続きは何ですか」

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。福沢諭吉『学問のすすめ』

「うまくいかない時期をどう過ごしたのですか」

都て事の極端を想像して覚悟を定め、マサカの時に狼狽せぬように後悔せぬようにと計り考えて居ます。福沢諭吉『福翁自伝』
生徒が散ずれば散ずるまゝにして置け、教員が出て行くなら行くまゝにして留めるな、生徒散じ教員去て塾が空屋になれば、残る者は乃公一人だ、ソコで一人の根気で教えられる丈けの生徒を相手に自分が教授して遣る福沢諭吉『福翁自伝』
思いのほかに失策多くして最初の目的を誤り、世間にも笑われ、自分にも後悔すること多し。福沢諭吉『学問のすすめ』
内村鑑三信念と生き方を熱く説いたキリスト教思想家

「敗戦国デンマークはどう立ち直ったのですか」

デンマークはこれがために窮困の極に達しました。もとより多くもない領土、しかもその最良の部分を持ち去られたのであります。内村鑑三『デンマルク国の話』
「しかしながらわれらは外に失いしところのものを内において取り返すを得べし、君らと余との生存中にわれらはユトランドの曠野を化して薔薇の花咲くところとなすを得べし」内村鑑三『デンマルク国の話』
国の興亡は戦争の勝敗によりません、その民の平素の修養によります。内村鑑三『デンマルク国の話』

「後世に残せる最大の遺物とは何ですか」

それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。内村鑑三『後世への最大遺物』
パウロ彼自身はこのパウロの書いたロマ書や、ガラテヤ人に贈った書翰よりもエライ者であると思います。内村鑑三『後世への最大遺物』
すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。内村鑑三『後世への最大遺物』

「楽しい生涯とはどんな生涯ですか」

それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。内村鑑三『後世への最大遺物』
この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。内村鑑三『後世への最大遺物』
後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた内村鑑三『後世への最大遺物』

分からない一節は、その場で聞ける

引用した箇所は、どれもアプリで原文のまま読めます。読んでいて分からない一節があれば、その画面のまま著者に聞けます。答えには必ず著者本人の文章の逐語引用がつきます。

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